下忍に与えられる任務は、これといって一定の周期があるわけでもなく、次々と舞い込む時もあれば暫く何も無い日もあるらしい。実に一週間ぶりの、久々の任務だった。
「ふむ、それでは第四班には、畑を荒らす動物を退治してきてもらおうかのう」
 通算四度目ではあるが、このやりとりにも慣れてきた。


   畑荒らしの犯人


「動物退治って……くっだんねー。どうせタヌキとかだろー?」
 依頼主の家に辿り着き、説明を受けて畑にやってくると、すぐさまいのじろうがそう言った。家の者の姿が見えなくなってから言う心掛けは良いのだがと、スズリが小さく苦笑する。トオル先生は既に畑から少し離れたところの木に寄りかかって座っており、此方の言動には一切関与していなかった。
 はしゃがみ込み、畑の土に触った。程良く湿っていて、今朝にも水が遣られたのだと解る。何が植えられているのかは定かではないが、は何だか嬉しくなった。
「わざわざ忍に頼むくらいだから、狡賢いタヌキなのかもしれないねえ」
「大穴でモグラとかな」
 スズリがそう言い、立ち上がったも可能性を付け足した。
 依頼主が話した事によると、つい先頃から畑が荒らされるようになったのだという。食料庫にあった野菜は根刮ぎ食われ、新しく植えられた作物も無惨に荒らされ、何度追い払ってもその動物はやってくるのだそうだ。
「何にしろ、かったるい任務だなー」
 ぐぐ、といのじろうは背伸びをした。


「……しくじったな、ダークホースだ。馬じゃないけど」
「ンなのんきな事言ってる場合か! どつくぞ!」
 ぐおおおお、と唸り声を上げて畑を荒らしていた動物は現れた。熊だった。
 恐ろしく野太い鳴き声だ。思うに、人間一人くらいなら余裕で食べてしまえるのではないだろうか。飛ばしたチャクラの返ってくる量は、達よりも断然多く、並々ならぬ巨躯をしていると解る。せんせえ!といのじろうが叫んでいたが、トオル先生はどこ吹く風だ。「畜生、寝てやがる」といのじろうが声を漏らした。
 熊がもう一声、ぐおおおおと叫んだので、達は三者三様にビクついた。
「この間裏山が伐採されたから、食べ物が足りなくなってこの辺まで来たのかも」
 思い出したように、スズリが言う。聞いた覚えのある話だったのでも頷き、いのじろうも小さく呻いた。
「どうやったら帰ってくれるかなあ」
「満足したら、自分から帰るだろうけどな」
「そうだよねえ……」
「まー何にせよ」いのじろうが言った。「俺達が食われねーようにしねーとな」

 ぎょっとしてが彼を見遣ったのと、スズリが慌てふためいた声を出したのは同時だった。
「や、ややや止めようよういのじろう君! そそそんな事ないよ、ナイナイ!」
「いやいやいやだってよーあんだけデカいんだぜー? もしかしたらもしかするかも……」
「や、やだー!」
 いのじろうとスズリがヒィィィィと熊に怯えまくっている中、は一人疎外感を味わっていた。この手の類の思いは今まで何度もしてきていたから、今更どうという事もないのだが、やはり寂しくはあった。熊というものをどう恐がれば良いのか、にはさっぱり解らなかったのだ。
 少し離れた所に居る熊は、達に興味を失ったのか、それとも最初から抱いていなかったのか、此方に向かってくる気配はなかった。ばきりぐしゃりと木の折れる音がしているところから察するに、畑の作物を荒らす作業に移ったらしい。
「動物を相手にするなら火が一番効果的だろうけど、俺は火遁なんて使えないぞ」
「俺は無理」
「私も」
「……………」三人が沈黙している中、熊だけが畑の中で動いている。
 起爆札、は駄目だよね、畑だもんね、とスズリが小さく呟いた。
「仕方ねーなー……デカくても凶暴そうでも、熊だって獣だ、獣! ちょっと痛い目見さして、ビビらしてやれば逃げるだろー」
 いのじろうの震える声を聞いて、ビビってるのはどっちだよ、とは内心で思ったのだが、口に出すことはしなかった。チャキ、と金属の触れ合う音が複数聞こえたのを察するに、いのじろうは手裏剣を構えたようだ。隣でスズリも同じ事をしているかもしれない。彼女の忍具に関する扱いは一級品だから、音もなく構えるくらい訳はないだろう。はというと、手裏剣術がからっきしだったので、元から静観するつもりだった。


「おかしいなあ、俺にはあの熊が猛り狂っているように思える」
 の言葉に同意しそうになった自分を、いのじろうは慌てて抑えた。
 恐らく、いのじろうの考えは間違っていなかった筈だ。普通の野生動物なら、あれほどあからさまに攻撃されれば、普通は逃げる場面だろう。誤算が起きたのは、いのじろう達よりも一回りも二回りも図体がデカいあの熊がこの界隈のボス熊であり度胸が据わっていたという事と、その熊が極限状態まで腹を空かせているという事だ。
 投げられた手裏剣は熊のすぐ近くの地面に突き刺さるどころか、スズリが放った的確な手裏剣は、熊の体にうっすらと切り傷ができるように掠めもした。が、逆にそれらの牽制が仇となり、熊の本能に火がついたらしい。
 一声雄叫びを上げ、そのままいのじろう達の方へと走り出した。あの図体だ、そう早くは走れない……と思うのは間違いだ。実際熊のスピードはアカデミー生の全力疾走にも劣ってはいない。熊が雄叫びを上げたその時には、既に三人は走り出していた。

 いのじろうは走りながらもぐるぐると考えていたのだが、一向に良い案が思い付かなかった。この畑には時期が良いのか沢山の野菜がなっているし、その向こうには穀物庫も食料庫もある。が、そんなものに脇目もふらず、熊は三人の下忍に釘付けだ。熊に狙われた時の対処法なんて、アカデミーでは習わなかった。
 と、隣で走っているが印を結んでいる。この間のサバイバル演習でも感じていたが、こいつの印結びはやけに速い。いのじろうでも、走りながらこのスピードで正確に印を結べと言われれば、まず無理だろう。それだけしか修行してないんじゃないのかと、そう錯覚してしまいそうになる程だ。印を結ぶスピードだけでも癪なのに、知らない印の順番だったから、いのじろうは更に腹が立った。
 がくるっと体を反転させ、熊と向き直る。
「――木遁の術!」
「……え?」
「っの……アホーっ!」
 パンッ、と巳の印が組まれたと思ったら、突如として熊のすぐ前の地面からめこっと木が生えだした。太いが枝も何もないそれは、紛うこと無き樹木であり、めきめきと成長してそのまま熊の巨体に巻き付いた。熊はいきなりの出現に驚いたのか、虚を突かれたらしく暴れてはいるものの、の術にされるがままになっている。
「お前は馬鹿かっ! 畑荒らすなって言われてんだろーが!」
 巳の印を組んだまま立ち止まったは今、眉根を寄せて目を閉じている。いつもなら仏頂面を引っ提げて反論するところなのに、何故かそれがなかった。いのじろうは深く考えもせず、に叫んだ。スズリがオロオロして止めようとしていたのも気付かない。
「あんなメコメコメコメコと! どう直せってんだ、ああ?!」
「……すまん、もう無理だ」
 何がだ!といのじろうが怒鳴り返した時、先程木が生え出した方向から、メキッと嫌な音がした。いのじろうはバッと振り返り、目標を視認する。その一瞬の後、三人は再び駆け出した。熊が自慢の怪力で木の拘束を振り解き、自由の身になっていた。


「使えねー! 何だお前、マジ使えねえええ!」
「っだとコラァ! 大体いのじろうが悪いんだろう、横でごちゃごちゃと!」
「何が木遁だこのヤロー! 見かけ倒しか! あっさりやられてんじゃねーよ!」
「黙れコラ! 動きを止めて、それから檻作ろうとしてたのに、お前が邪魔したんだろうが! それと先生直伝の木遁馬鹿にすんな!」
 全力疾走しながら、ぎゃあぎゃあと二人が叫び合っていたが、同じく全力疾走しているスズリがそんな二人を見て苦笑いを浮かべていた事には、いのじろうもも気が付かなかった。

 正直な話、の訳の解らない忍術の腕が頼りだった。この間のサバイバル演習においては、信じられない話だがこの男、水遁と土遁、それに木遁という五大性質変化から外れた忍術も見せた。木遁だなんて、初代火影様だけの術、秘術中の秘術だ。彼を全く知らないいのじろう達の世代からすれば、自在に木を生やすだなんて眉唾物だ。チャクラの性質を全く無視している。が、それは実際にこの目で見るまでの話だが。
 残念ながら、その理屈で説明が付かないような忍術でも、怒り狂った熊には効果がなかった。おそらくいのじろうの見立てでは、もうではあの熊に太刀打ちできない。熊のあの勢いだ、おそらく水遁だなんてチャクラ放出だけに頼る術では力任せに破られてしまう。これこそまさに推測の域だが、には土遁において敵を捕縛、もしくは攻撃する術がない。土しかない畑で、わざわざ木をチャクラで捻り出したのが答えだ。土遁が使えるなら、最初から畑の土を利用した術を使えば良い。
 がサバイバル演習で使っていた土遁の忍術は、裂土転掌。地面に亀裂を入れ、敵の足を掬う。隙を作るにはとても有効な術だ。木ノ葉では確かにマイナーな部類に入るが、余所の里では土遁においての基本忍術だった筈。しかし相手は野生の熊だ。多少地形が悪くなった位では意味がない。もそう思ったに違いない。
 何にせよ、いくら性質変化が一つ二つ扱えるからと言って、所詮は彼も下忍なのだ。術の威力も精度も半端だし、巨大熊相手では意味がなかった。トオル先生がの術に上手く嵌っていたのは、単に性質変化を扱える下忍が彼の想定外だったからだろう。術の一切を知らない熊には全く関係がない。
 ――まずい。いのじろうは冷や汗を流した。真っ向から立ち向かっていったのでは、自分達に勝機はない。考え方を変えなければ。
「ね、ねねね君、君の幻術って、あの熊に効かないかなっ?」
 スズリがどもりながらも言った言葉で、いのじろうはハッと思い出した。

 この間の任務の事だ。与えられたのは庭に出来た蜂の巣の駆除。が、この蜂が膨大な数で、何度手裏剣やクナイで撃ち落とそうにもきりがない状態だった。危うく二人が刺されそうになった時、どうやったかは知らないが、が何かの術を発動し、その後蜂は次々と地面に落ちた。蜂の嗅覚に訴えかけて幻術に嵌めたと彼は言っていたが、本当かは解らない。
 いのじろうもスズリと同じようにを見遣ると、彼はどうにも言い表せない表情をしていた。苦虫を噛み潰したような、という言葉が一番的確かもしれない。人間以外の生き物に幻術掛ける事がどんだけ難しいのか解ってるのか、いや解ってないな……が考えているのは大方そんなところだろう。
 当たり前の話だが、基本的に幻術の印は人間相手に作られている。人外の輩に術を掛けようとするなら、それ相応に術を対応させなければならない筈だ。印を組み換えるまでは行かないまでも、練り込むチャクラの量や質を調整しなければならないだろう。いのじろう自身は幻術を使えないが、知識としては頭に入っていた。
「多分、無理だっ」
「お願いっ、君、やってみてよう……っ」
「そうだ、ぞっ! つべこべ言わずに試してみやがれっ!」
 三人とも、全速力のマラソンに、ついに息が切れ始めていた。いのじろうだってそうだったし、体力の塊のようなだってそうだ。このまま走り続けているだけでは、いつか熊に追い付かれ本当に、食われる。
 いのじろうはトオルの存在を既に忘れていた。流石に部下に命の危機が迫る事態であれば、担当上忍のヘルプが入る筈だ。だが彼は現在姿を消しており、いのじろうはトオル先生という存在自体が頭から抜け出ていた。
「やってみねえと、解らねーんじゃなかったっ、のか!」
「……うるせえ! ああ、もう……解った、だが十秒も持たないぞ、多分」
「何で、だよっ!」
「熊の本能が強力そう、だからだ」
「………」
「………」
 あの熊はお腹が空いている。そしてその本能のままに動いている。だから強い意志が働いており、忍者でなくとも幻術には掛かりにくい。そういう事だろう。
「……良いから、やれっ!」
 いのじろうが怒鳴ると、はまだ不満そうだったが、それでも印は結び始めた。強力な術を掛けようとしているのか、下忍が使うような基本忍術とは桁外れの量の印を結んでいく。そしていのじろうも、彼の横を走りながら体内で必要なチャクラを練り始める。
 の印結びが終わった。
「魔幻・樹縛殺!」
 再び熊と向かい合ったがそう叫ぶと、今まで走っていた熊の動きが次第に止まり、四つん這いの状態のまま動かなくなった。いのじろうは二人に向けて何を言うでもなく、ただそのまま体の前で作った印で、照準を合わせる。
「心転身の術!」いのじろうは自分の精神が肉体を離れ、熊の体に宿った事を悟った。


「知らなかった、心転身って動物にも効くんだな。便利な術だ」
「私も知らなかったよう。ねえねえいのじろう君、触っても良い? 一回触ってみたかったの」
 ぐおおぐおおと熊が唸ったが、生憎ともスズリも熊の言葉は解らなかった。本気で肯定の意と捉えたのか、それともいのじろうをからかっているのか、スズリは「わーい」と言っていのじろうの精神が乗り移った熊を触る。
 俺も良いか、と言った時にはも既に熊を撫で回しており、熊一頭分の雄叫びが畑に響いた。
「ぐおおおお!(てめーら、後で覚えてやがれ!)」


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