合図と同時に身を潜めた二人に倣って、も気配を絶ち、木の陰に身を隠していた。演習開始から、既に三十分は経過している。いのじろうもスズリも、それぞれトオル先生に奇襲を仕掛けたようだったが、耳を澄ますと、彼から聞こえてくる小さな鈴の音は未だに二つあった。上忍の実力はやはり自分達より遙か上を行っているのだ。
 ――さて……どうするかな。
 は、内心でそう呟いた。それからゆっくりと瞬きをし、前を見据える。瞳には何も写らないが、の目には自分が鈴を取る光景がはっきり見えていた。すっくと立ち上がると、そっと印を結んだ。


   先生を倒せ!


 欠けてしまった刃先を見つめ、スズリは小さくハァと溜息を吐いた。この刀が父に見つかれば、未熟者とまた罵られるだろう。大量の手裏剣を用いた陽動は成功したように思えたのに、スズリが斬りかかったその一瞬で、トオル先生は印を結び土遁の壁を作っていた。普通の土壁だったならば、口寄せした大刀が欠けてしまうなんて有り得ない。どうやらチャクラでコーティングされていたようだった。
 先程、スズリは先生に勝負を仕掛けに行っていた。自分に出来るのはただ忍具を駆使して攻める事だけなのに、鈴に触れる事さえ叶わなかった。
 もう一度、今度は自分の不甲斐なさに溜息を吐く。
「おい」
「うっひゃあああああ」
 ギョッとした相手が急いで口を塞いだ時、スズリは初めて自分に声を掛けたのがいのじろうであると解った。必死になって目で訴えると彼はゆっくりと右手をずらす。
「い、いのじろう君?」
 解り切っていたがそう尋ねると、いのじろうは「オウ」と答えた。
 スズリは何故彼が自分の元にやって来たのか解らなかったのだが、演習場に地響きが鳴り響いた時、呟くようにいのじろうが言った。彼は今の音の原因が何なのかだとか、まったく気にならないようだった。スズリは一人びくっとしたのが恥ずかしく、ほんの少し俯いた。
「アレは……――」いのじろうが呟いたのを聞いた、スズリは顔を彼の方に向ける。「――いや何でもねーや。それより、作戦立てようぜ、作戦」
「作戦って?」
 スズリが聞き返すと、いのじろうは澄み切った笑顔を見せた。
 彼の口から淀みなくその作戦の内容が語られ終えた時、スズリは心の底から感心した。自分ならそんな戦略を思い付きもしないだろう。彼が説明した作戦は、見事に自分達の持ち味が生かされているし、スズリからしてみれば完璧な代物ように思えた。彼が作戦を『立てよう』と言ったくせに、話し合うでもなく役割が決められている事になど、スズリは一切不満を抱かなかった。

「じゃあ君も――」
 呼ばないと、という台詞はいのじろうの手によって遮られた。
「いーんだよ、アイツは。あんな落ちこぼれが忍者になんかなれるわけねーんだし」
「駄目だようそんな言い方……。それに、君はチームメイトなんだよう?」
 いのじろうは、ちろっとスズリに視線を向けた。彼女の様子を見るに、本心からそう言っているのは間違いない。こう言ってはなんだが、アカデミーでの彼女の成績は決して良いというわけではなかった。自分と同じように『この試験の本意』に気付いている訳ではないのだろう。いのじろうは、心の底から溢れ出た溜息を押さえ付ける事ができなかった。
 ――俺もまだまだだな、全然忍に徹し切れねーや。
 嘆息するものの、気が良くてそして少し小心者の彼女が、良心を痛めるような事もなく、それでいて怯えないような溜息に努める事は忘れなかった。いのじろうが思った通り、彼女は何とも思わなかったようだ。頭上にクエスチョンマークを飛ばし、いのじろうを見る。
「ヤサシーねースズリは。けどよォ、鈴は二つしかねーんだぜ? ……残念だけど、元からねーんだよアイツの分は。スズリだって忍者になりてーだろ? 俺だって一生花屋の店員なんてゴメンだぜ。だったら心を鬼にしねーとな。――ま、何にしろこの試験、ホントの目的は……」
 いのじろうは口を噤んだ。スズリは不思議そうな顔をして、彼を見る。
「目的は?」
「……やっぱいーや。それよりよスズリ、さっきの、頼んでも大丈夫か?」
 スズリがこっくりと頷くと、いのじろうは再び満面の笑みを見せた。


 先程から、ズガーンドガーンと大きな音が演習場に響いていたが、トオルの仕業ではなかった。地面に走った亀裂をトオルがひょいと避けると、目の前の少年、は、チッと舌打ちをした。次は外さない、という風に再び印を結ぶ彼を見ていると、冷や汗が出てくるようだった。
 三人のルーキー達には、全く驚かされるばかりだった。
 心転身を核とした術の組み立てには危うく引っ掛かりそうになったし、体に当たりこそしなかったものの手裏剣は服を掠めた。下忍の班分けは実力が均等になるように組まれている筈だが、どう考えてもこれはおかしい。一人一人の実力が高すぎるのだ。
「水遁・水乱波!」
 の口から円錐状に水が吹き出され、トオルはそれを避ける為に大きく跳躍した。
 特にこの、彼はトオルの目の前で、水遁と土遁の二つの性質変化を披露していた。下忍ながら多彩な忍術を繰り出し、その上で幻術さえ自在に使いこなしトオルを嵌めようとしたのには度肝を抜かれる。樹縛殺をモロに喰らってしまった時には、その術の鮮やかさに思わず声が漏れた。ルーキーナンバーワンはガイに取られたと思っていたが、果たして日向の天才はここまで忍術を使えるだろうか。
 何より恐ろしいのは、こんな場所で水遁を繰り出すその技術だ。少し離れた先には確かに川が流れてはいたが、の水遁はそこの水を利用したものではなかった。新人の下忍にそんな真似ができるだなんて、誰が信じるだろう。
 それらに加え彼は既に、十分以上トオルに攻撃をし続けていた。他の二人なら兎も角、の忍者学校の成績は下から二番目だった筈だ。下忍には到底使えないような術のオンパレードだったが、彼は体力の底を突くどころか、段々とトオルの動きに対応できるようになってきていた。は息切れさえしていなかった。なんてスタミナしてやがるんだ、とトオルが内心で悪態を吐く事だって、責められはしないに違いない。
 ――まだまだ荒削りだが、経験を積めばきっと今以上に化ける。
 トオルは目の前の少年を見て、確かにそう思った。を勢いよく蹴り飛ばしたその時、トオルは後方から一人、いや二人の気配を感じ取った。予想の範囲外ではあったがそこは上忍、くるりと向きを変え、二人のスズリと向かい合う。後方を走っていたスズリが印を組んだと思ったら視界から消え、すぐ手前まで来ていたスズリが、先程とは違う小振りな忍刀を振りかざしていた。
「どっちも実体……なるほど、影分身か」
 トオルは冷静に呟くものの、やはり内心では冷や汗をかいている。影分身が使える下忍だなんて。班が結成された時、個人個人のデータは貰っていたが、こんな事は書かれていなかった。
 ちりん、と二つの鈴が鳴った。
 スズリの刀をクナイ一本、右腕一本で受け止めながら、トオルは言った。彼女は口元を少し上げてみせる。トオルが思うに、とスズリの連係攻撃に見えない事はなかったが、吹き飛ばされたの顔が驚きを表していた為、そうではないのだろう。
 トオルは背後に感じた気配に左腕で応戦する。
「影分身は陽動ではなく真打ちに使うこの剣技、そしてその太刀筋、木ノ葉流二日月の舞か。やるな、スズリ」
 目の前のスズリはにっこりと微笑んだ。そしてそのまま、続けざまに刀を動かした。前方に居るスズリ、そしてトオルの死角に回って攻撃を繰り出し続ける影分身のスズリ。トオルは影分身を消そうとはせず、二人の攻撃をクナイだけで全ていなしていた。
 川から離れているものの、の水遁で地面はどろどろだった。しかしスズリは足を取られる事も、怯む事もしなかった。元より彼女は体術だけなら、三人の中で一番の腕前で、悪条件での足捌きも見事なものだ。トオルの視界に、がむくりと起き上がったのが見えた。そして彼はそのまま下忍とは思えない速さで印を結ぶ。
 トオルはふと、背中側の死角に回り込んでいたスズリの気配が後方に遠ざかったのを感じた。違和感の正体に気付き、前方のスズリにクナイを投げた時、既にが印を結び終えていた。クナイが突き刺さった目の前のスズリは、勿論ぼふんと掻き消える。影分身はこちらだったのだ。
「――水遁・水牙弾!」

 トオルのすぐ足元の地面から、圧縮され回転を加えられた水の塊が飛び出した。全てがトオルの体に突き刺さり、一瞬血飛沫が舞ったようにも見えた。ぼふんと丸太が地面に横たわったのは一瞬の後だ。
 ――ちょ、ちょっとヤバかった……!
 少し離れた所に姿を現したトオルは、文字の如く滝のように冷や汗を流していた。透遁忍術によって、額当てと忍者ベスト、ポーチとホルスターと二つの鈴しか見えていない筈なので、表情がバレる事はないのだが、それでもトオルは噴き出た汗を袖で拭った。恐ろしい事に、四つの水塊は急所に突き刺さるどころか貫通しており、変わり身に使った太い丸太でさえ穴が開いていた。一歩でも遅ければ、確実に病院行きだ。
 トオルが一息つく事ができたのは姿を消したその時だけで、すぐに後ろから飛んできたクナイをかわす為、横様に跳ばなければならなかった。スリーマンセルの最後の一人、いのじろうだ。アカデミー次席という肩書きは伊達ではなく、彼の手裏剣術は見事なものだった。あと一歩というところでクナイは地面に突き刺さる。
「惜しかったな」
 トオルが言ったが、いのじろうは何も言わず、新たに手裏剣を放る。地面こその土遁やら水遁やらで滅茶苦茶になっているものの、木や岩という障害物はない為、手裏剣の軌道を妨げるものはない。それらはまっすぐトオルへと向かってきた。飛んできた手裏剣は八つだけ。これなら弾き返せると、トオルは再びホルスターからクナイを取り出した。
「――手裏剣影分身の術!」
「……なっ、何ィ?!」トオルは今度こそ、声に出して叫んでいた。
 八つだった手裏剣が十六になり、三十二になり六十四になり……無数に増加した手裏剣を見て、この演習中で幾度目か解らない驚きの声が、ついに心の中のものだけではなくなった。手裏剣影分身の術、自分ではなくしかも無機物を影分身させるという、三代目が編み出した超高等忍術だ。視界に入ったスズリが、肩で息をしているものの、得意げな表情を浮かべているのが解った。
 すぐ目の前に迫ってきた大量の手裏剣に、トオルはやむなく跳躍した。ただの分身で増えた手裏剣なら見極められる上に、当たってもダメージを受けないから兎も角、全て実体の影分身をクナイ一本だけでは、とてもではないが応戦できるものではない。土遁で壁を作ろうにも変わり身をしようにも、呆気にとられていた為に印が間に合わなかった。
 後方に着地した時、トオルは感じたチャクラの気配にその身が戦慄した。ぞくりとした。スズリのすぐ隣に、が立っているのが見えた。そして――彼は印を結び終わっている!
 足に何かが巻き付いたのを感じ、トオルは足元を見下ろした。
 透明な筈の自分の足に、地面から生えてきた木が巻き付いていた。先程と同じ幻術、樹縛殺だ。木はどんどん育っており、今では膝下まで巻き付いている。強力なその圧迫感に、トオルは幻術を解かない限り身動きできない事を察した。これだって高等な術の筈なのに……流石は一族――トオルは考えるまでもなく、解の印を組んだ。

 トオルの見たところ、彼ら三人の仲は決して良いというわけではなさそうだった。初対面という訳ではなく、いのじろうとが啀み合っていたように思えた。プライドの高いいのじろうと、我の強い。そして恭順するだけのスズリ。
 しかし、彼らの連携は見事だった。まさか全て計算の内ではないだろうが、上忍の自分が鈴を盗られる寸前まで追い込まれたのだ。彼ら三人を舐めていた。次からはもう少し、難易度を上げて相手をした方が良いだろう。一旦体勢を立て直し、それから彼ら三人の相手をしてやろう――トオルはそう思い、後ろざまに跳んだ。いや、跳ぼうとした。
 がくり、と体が倒れそうになった。
 咄嗟にバランスを取り、転倒だけは防ぐ。驚いて足元を見ると、何故だか未だ木が絡み付いていた。幻術は先程解いた筈だった。不測の事態にぎょっとして、トオルは一瞬の判断が遅れた。状況を呑み込んだ時には既に遅かった。が叫んでいた。
「今だ、いのじろう!」
「るっせ」小さく、いのじろうが呟く。彼の手は独特の印を組んでいる。「心転身の術!」


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