「名前はトオル。今年26才になった。好きな物は天ぷら、嫌いな物はサンマだ。趣味は……読書だ。世界一の透遁忍術を開発する事が夢だ――こんな感じで、各自自己紹介してくれ。じゃあまず、一番前に座ってる君からだ」


   サバイバル演習


 トオル、と名乗った上忍は気軽にそう言った。が、いのじろうとスズリからしてみれば実に不審だ。何せ、声はすれども姿が全く見えないのだ。トオルが弄くっている白いチョークで、漸くそこに人が居るのだと信じる事ができる。そのチョークは独りでに右に左へと揺れたり、くるくると上に放り投げられたりしていた。
 どうせアカデミーは貸し切られているのだからと言って、トオルは此処から移動しようとはしなかった。彼はそう言ったが、が思うに、一歩でも外へ出ようとした途端、自分達が先生を見失ってしまうからに違いない。トオルは自分達の前に姿を現す気は、全く無いようだった。
「……山中一族のいのじろう。好物は讃岐うどん、嫌いな物は里芋。趣味はガーデニング。将来の夢は、火影になる事。以上」
「ほう」トオル先生が感心したように、小さくそう声を漏らした。
 いのじろうは先程の羞恥がまだ残っているのか、いつもの彼らしくなく、淡々と答えていった。それもその筈だ。年甲斐もなく「透明人間かァァ?!」と叫んでしまったのだ。いくら彼でも恥ずかしかっただろう。しかしながらトオル先生は、そのリアクションを非常に満足していたらしかった。
「火影か。大きく出たな――じゃっ次、そっちの女の子」
 いのじろうが頷いたのを見て、トオルは次にスズリを当てた。
「ふあ、はいっ……スズリです。うええっと……好きな物はグラタンで、嫌いな物は特にないです。趣味は………忍具の整備です。将来の夢は、実家を継ぐ事です」
「君の実家っていうと……峠の上の武器屋かな?」
「そうです」スズリが首を振ると、トオルは「成る程」と言った。
「じゃあ最後、そっちの」
「はい。です。好きな物はマーボー豆腐で、嫌いな物は卵焼き。趣味と言えるかは解りませんが、友達と一緒によく修行してます。将来の夢は一族の復興と、それから――」
「……それから?」トオル先生が先を促した。
 言うべきか言わざるべきか、は少しだけ迷ったが言葉を続けた。
「――それから、一人前の忍になる事です」
「一人前?」トオル先生が聞き返した。「一人前っていうと?」
 は、まさか質問で返されるとは思っていなかったのだろう、ぐっと言葉に詰まった。どう答えれば良いのかと考えているのか、もしくは本当に当て嵌まる答えが見つからないのか、トオルには判断が付かなかったが、彼が言わんとしていた事は何となく解っていた。
 担当上忍であるトオルは、彼が目が見えない事を勿論知っている。
 トオルからしてみれば、このの生き残りも、山中一族のホープも、そして侍の娘も、可愛い可愛い下忍だった。いや、彼らは下忍になれる素質を持っているだけで、正式にはただのアカデミー卒業生だ。一番最初にいのじろうに自己紹介をさせてからというもの、皆がトオルの真似をして食べ物の好き嫌い、趣味と将来の夢を言った。確かに命令を聞く事は忍にとって重要事項ではあるが、素直すぎるのも考え物だ。どうして透明なのかだとか、姿を見せろだとか、この子達は一切言わなかった。
 トオルは声を出さずに小さく笑った。
「強い忍者になります」いのじろうがプッと噴き出したのを、はまるきり無視した。


 次の日、四班の面々は小高い丘の上の演習場に集まった。これから正式に下忍と認定する為の試験が行われるのだ。十時になる少し前、が来た時には既に他の二人は揃っていた。
 背後には火影岩がそびえ、殉職した忍を奉る慰霊碑があった。少し崖の方へと歩けば木ノ葉隠れの里を一望する事ができる。もっともは火影岩を見たことがないし、慰霊碑の近くには行ったことがない。木ノ葉の里の外観も知らない。しかし此処はアカデミーに入る前、忍術を教えてもらった思い出深い場所だった。
 演習場に着いた後、はスズリにおはようと返事を返しただけで、後はトオルが現れるまで一言も口を利かなかった。ずっといのじろうが喋り続けていたからだ。
 彼はの事が嫌いだ。同様に、だって彼の事が好きじゃない。突っ掛かってくる訳でない事が救いと言えば救いかもしれない。きっと目が見えていたらすぐに喧嘩に発展するだろうから、彼が口に出して喧嘩を売ってこない限り、だって堪える事ができるのだ。いのじろうがどれだけを馬鹿にしていたところで、その仕草が見えないのであれば意味はない。
 はふと、顔を上げた。その先ではまだいのじろうが喋り続けている。
「ったくよー……演習ならアカデミーでも散々やったっつの。何で今更『演習』とか……大体、あの先公いつ来んだよ。もうじき約束の十時なのに、まだ来てねーじゃん」
「誰が来てないって?」
「うおおおうあ?!!」
 いのじろうのすぐ真後ろから、トオル先生の声がした。大声を出したいのじろうと同じく、スズリも「きゃっ」と驚きの声を上げた。だけが、木にもたれ掛かったまま身動き一つしなかった。
「せせせせせせ先生! 脅かすなよ、吃驚するじゃんか!」
「そうですよう、もうー……」
 ごめんごめんと軽く謝った先生は、愉快げに笑っていた。

「――さてと。いのじろうにスズリに、全員キッチリ集合時間前に揃ってるな。結構、結構。では早速だが、今から演習を行う。今回の卒業試験、無事に二十七人が合格できたわけだが……忍になれるのはその中の九人だけと決まってる。つまり、三チームだな。けどそれじゃああんまりにも酷なんで、多少の猶予もあるわけだが……――まあ、この三人の内、誰か一人は確実不合格って計算にはなるかな、うん」
 三人はぎょっとした。たったの九人だって?
「そこで、こうして選抜を行うわけだ。ここに鈴があるのが見えるか? 君達三人は、俺から鈴を奪うのが今回のサバイバル演習の内容だ。単純明快、鈴を手に入れた二人が合格って事。何か質問は?」
「あのう」スズリが小さく声を出した。「鈴を取れなかった人はどうなるんですか?」
「不合格、って事で忍者になる資格を剥奪される。なーに、気にする事ぁ無い。君達の仕事は鈴を奪うだけ。敵の――まあつまり俺な訳だが――忍を倒さなくちゃいけない訳じゃなし、鈴を手に入れたらそこで終了だ。持ち帰らなくちゃいけない訳でもない。君達は手裏剣でもクナイでも使ってオッケー。俺はまあ手加減って事で……そうさな、攻撃はしない、俺からはね。アカデミー卒業したての諸君だって軽い軽い――悪いな、里も忍者に向かない奴を忍者にしてやるような余裕は無いんだよ。なに心配するな、忍者学校卒業生って資格は多少就職に有利だから」
 幸い君達、全員実家がお店屋さんだしネ、とトオルは付け足した。
「じゃあこれから正午までの二時間ちょい、健闘を祈るって事で……合図したらスタートだから」
「なっ……ちょい待ち! 相手見えないのにそんな小さな鈴だけ見て、奪えるわけないじゃんか!」いのじろうが叫んだ。
 そこでやっとは思い出したのだが、トオル先生は透遁忍術を使っているから、二人には彼が見えていないのだ。まさか先生が今日も姿を消しているとは、も思わなかった。『世界一の透遁忍術を開発する事』が夢だとか言っていたが、どうやらそれは本当らしい。何にしろ、は元々目が見えないから、透明だろうと何だろうとあまり変わりはないのだが。むしろからしてみれば、先生が動いて鈴を鳴らしてくれないと、どう手を打てばいいのか解らない為、そちらの方が問題だ。
「そうですよう、先生がどこに居るのか今もいまいち解んないのに……」
「術解いてくれよな!」
 スズリがいのじろうに加勢すると、トオル先生は「んー」と迷った様子を見せた。
はどう思う? 別に見えないままでも鈴、取れるだろ?」
「……ご冗談でしょ。もう少し鈴が見易ければ俺達だって頼みませんって」
 まさか自分が聞かれると思っていなかったは、少しだけ答えるのが遅れた。実際のところ、は自分が発したチャクラを受け取って他人の位置を知っているわけだから、通常と同じように先生の位置は解っているのだ。鈴の位置はいまいち解らないが。
 しかしいのじろうは兎も角、スズリが鈴を取れないのは可哀想だ(はどちらかと言えば、どうせならいのじろうが失格になってしまえば良いと思っていた。勿論自分が不合格になる気はさらさらない)。が答えた時、「そう?」と先生は言った。
「三人とも同意見ってんならそうだナー……――こんくらいでどう?」
 どろん、と術の解けた音と僅かな煙の匂いがした後、いのじろうとスズリが言った。
「まあ……そのくらいなら……なあ?」
「うん」
 どうやらトオル先生が、全てとは言わないものの姿を現したらしい。彼らから返事を求められている気がして、は口を閉ざしたまま、首を小さく縦に振ってみせる。
「せんせー顔わかんねー」といのじろうが言った。

 トオル先生がくるりと首を動かし、三人の顔を見回した気配がした。
「じゃ、みんな用意は良いかな。よーい――スタート!」


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