「上等だ。落ちこぼれは死ぬまで落ちこぼれだって事を教えてやんよ」
「軽口を叩くのもいい加減にしておいた方が良いぞ。負けた時、格好が付かないからな」
 いのじろうは、怒って顔に血を上らせているのではないだろうか。
 目が見えなくて良い事の一つに、相手の様子が窺えないという点がある。いくら相手が憤怒の形相をしていても、強そうな体付きをしていようとも、見た目にビビらされる事がないからだ。表情を知ることができないからこそ、相手を逆上させるのは難しいのだが。
 しかし六年間の付き合いから、いのじろうがどこまで言えば怒り出すのかは解っていた。
 思惑通り、彼は挑発に乗ってきた。元々、いのじろうは別に怒りっぽい方じゃない。むしろ物事を冷静に判断する能力に長けていると思う。しかし、プライドは高い。
 には、喧嘩を止めようとする声も、二人を囃し立てていた声も、一瞬聞こえなくなったようだった。といのじろうは睨み合っていた(もっとも、には相手の顔など見えていないが)。近くの木から鳥が飛び立った時、二人が同時に地を蹴った。


   担当上忍


 それからの動きは一瞬で、その場にいた殆どの者が理解する事ができなかった。
 飛び出したといのじろうは、お互い拳を握っていた。忍者組み手だ。は体術が苦手だったが、いつもリーと修行しているおかげで、そこそこのスピードになら付いていく事ができるし、相手の攻撃に合わせて突きを繰り出す事ぐらいならできる。カウンターを喰らおうとも、一発でも命中すればもうそれでの術中なのだ。
 だからこそ、一瞬の間にいのじろうとの間に別の人間が現れた時にも、驚きはしたものの動揺はしなかった。その場にいた自分以外が、彼を含めた自分達の動きを目で理解できたかは微妙なところだ。体が追い付いたかは別だが、少なくともは急ブレーキをかけようとした。
「ホアチャァァァ!」
 急に面前に現れた男はの右腕、そしていのじろうの右腕をも掴んでいた。
「なっ…!」
「くっ……」
 ブオン、と風の音をさせて、といのじろうは投げ飛ばされた。走っていた勢いは一切殺されていなかった為、二人は思い切り飛んだ。は板塀の方へ、いのじろうはアカデミーの壁へ。
「ふっ……お前達、まったく――」
 げほっと咽せ込みながら、はその男の方を向いた。
「――青春してるなー!!!
「???」
「!!!」
 なっ、あっなっ……こ、濃ゆーーっ!!!
 その場に居た以外の面々の心の声がハモった。凛々しく太い眉毛、恐ろしいほどサラサラしたオカッパ髪、バシバシと生えている下睫に極めつけは緑色の全身タイツ。どこをとっても濃ゆ過ぎる。おまけに腰をくねらせた暑苦しいポーズを取っていたので、その場にいた下忍達は皆引いた。残念ながらには、それらの全てが解らなかった。ただ一つ解るのは、その男が自分達とは比べ物にならない程のチャクラを持っているという事だ。
 ――どうやら、忍らしい。
 が思った事は勿論正解で、彼は木ノ葉隠れの上忍だった。

「だっ……誰だぁアンタ! 濃っゆい格好しやがって!」
 呆気に取られていたいのじろうがそう叫んだが、その声は先程までとは違い、変に怯えている。にはその理由が解らなかった。急に放り投げられた事に怒ったのだろうか? しかし実はいのじろうは怯えていたのではなく、彼の格好に引いていた。
「俺か? 俺は木ノ葉の気高き碧い猛獣、マイト・ガイだ!」
 な、名前まで濃ゆい……いのじろうが心の内で呟いた。
 あっ、あなたは……とリーが小さく叫んだが、その声は誰にも拾われる事がなかった。咽せ込みながらも立ち上がったが、ガイの方を見据えていたからだ。その反対側では、負けじといのじろうも立ち上がっている。
「どなたか知りませんが……邪魔をしないで下さい。これは俺達の問題です」
 ガイは立ち上がってそう言った少年、の方を見た。彼はガイを見てはいるものの、少し様子がおかしい。自分の目ではなく、口元を見ているようだ。もっとも僅かな違いだから、それに気付く事は難しいが。
 ――ああそうか、彼がもう一人の落ちこぼれ君か。
 『熱血落ちこぼれ君』と同じように、万年ドベの生徒が居ると聞いていた。一族の末裔で、目が見えないという前代未聞のアカデミー生だ。彼の視線に違和感を受けたのは、彼の目が見えていないからなのだろう。正式に下忍になれるかはまだ解らないが、額当てを付けている彼は、微塵も盲目には見えなかった。――彼の努力の賜物だ。
 ふふ、と、ガイは顔に出しはしないものの、小さく笑った。

「そうだぜオッサン」いのじろうが声を荒げる。「関係ねーくせに入ってくんなよ」
「関係? そうか、関係か――」
 ふっふっふとマイト・ガイが笑い出したので、その場にいた全員が再びヒクッと引いた。異様だ、異様すぎる――なんなんだこの男……今度はも含め、殆どの生徒がそう思っていた。
「――関係ならあるぞ? なんてったって、俺は君達の中の誰かの担当上忍だからな!」
「!!!」以外の皆が、声にならない悲鳴を上げた。
 担当上忍? 担当上忍……担当上忍だって? この男が?
 皆、先程聞いたばかりの説明を頭の中で思い出していた。下忍はそれぞれ三人一組を作り、そこに一人の上忍が配置される。それが担当上忍だ。つまり、下忍を卒業するまで彼と一緒なのだ。
「俺の担当は第三班だ! 青春している君達なら、いつでも歓迎するぞ!」
 といのじろうは一括りにされ、一緒にガイのナイスガイスマイルを喰らった。もっとも、その濃ゆい顔にダメージを受けたのは、普通に目が見えるいのじろうだけだが。後にネジが語ったところによると、自分がクールキャラで通っていなければ、この時悲鳴を上げていただろうという。


 思い掛けない参入者により場は白け、いのじろう達は結局そのまま立ち去っていった。演習場に残っているのは達三人と、ガイという上忍だけだ。
「ふっふ、いけないぞ少年。青春するのは良い事だが、こんな所では先生に叱られてしまうからな」
「……ハァ……」が気のない返事をしても、ガイは気に留めなかった。
「少年達よ、青春を抱け! ではさらば、また後で会おう!」
 上忍はそう言い残して、一瞬の内に消えてしまった。ぎょっとした。が気配を追う事も出来ないくらい、一瞬の内だった。
「なんだったんだろうねえ、あの人……」
「さあ……」
 呆気にとられていたスズリがそう言い、は相づちを打った。二人は顔を見合わせるも、内心で同じ事を思っていた。あの熱い人が担当上忍じゃなくて良かった、本当に……!
「あの人が、ボクの――」リーがそっと呟いた。

 ガイが言った事は本当だった。彼は本当に、第三班の担当上忍だったのだ。教室の時計が一時を指し示した時、凄まじい煙と共にガイは現れた。先程と全く同じテンションで。演習場に居たメンバーは二度目だから良いようなものの、そうでない生徒達は皆あまりの熱血ぶりに引いていた。
 三班がまず一番初めに教室を出ていき(はくノ一のテンテンが小さく「ヒィ」と叫んだのを聞いた)、それから順繰りに担当する上忍師が現れて、次々と生徒は少なくなっていった。そしてとうとう、教室にはとスズリ、そしていのじろうしか居なくなっていた。
「遅いねえ、私達の先生」
「ああ……」
 隣に座っているスズリは、いつまで経っても第四班の先生が来ないので、心配になってきているようだった。二つ前の席に座っているいのじろうは既に退屈そうだ。先程から何度も欠伸をしており、その度に噛み殺しているのがには聞こえていた。
 その時、の鼻をふわ……と外の匂いが掠めた。
 が左側を向くと、「どうしたの?」と言ってスズリもその方向を向いた。
「あれ?」スズリが小さく言った。「窓、開いてたっけ……?」
 その時、いきなりいのじろうが叫んだので、スズリは思い切り体を揺らしたし、も思わずびくりとした。
「ったくよー! 何で俺らの担当上忍は来ねーんだ! 忘れてんじゃねーの?」
 いのじろうがそう言うのも無理はなかった。最後の班が居なくなってから、とうに三十分は経過していたからだ。
「なあ、先生来ねーんじゃねーの。もう帰ろうぜ」スズリの方だけを見て、いのじろうが言った。
「だ、駄目だよう、ちゃんと待ってないと……」
「っちぇー。でもさー夜まで来なかったらどーするよ。俺ら待ちぼうけだぜー?」
 うう、と小さくスズリが声を出した。
「……そうでもないようだぞ」が言うと、いのじろうがキッと此方を睨んだ。
「お前にゃ聞いてねーんだよ、落ちこぼれ!」
 いのじろう君、と諫めたスズリを、は片手で制した。
「先生はもう来てらっしゃるって言うんだ」
「ハァ? 適当な事言ってんじゃねえよ」
「前をちゃんと向く事だな」いのじろうは前を向いた。

 そこには誰も居なかった。上忍の影どころか、自分達以外誰の気配もしない。ただ開けられた窓から入ってくる風が、カーテンをはためかせているだけだ。
「誰もいねーじゃ……」
「――よく解ったなあ、少年!」
 いのじろうの言葉が尻切れトンボに終わったのは、誰も居ない所から声がしたからだ。
 ギョッとして、いのじろうは辺りを見回した。やはり誰も居ない。しかし今度は、人一人分の気配を感じた。彼と同じように、スズリも吃驚した表情のまま、キョロキョロと辺りを見回している。だけが、真っ直ぐと前を見据えていた。
 カツカツと音がして、二人はギョッとした。
 説明会用に掃除されたのだろう、汚れ一つなかった黒板の前で、独りでにチョークが動いていた。チョークは力強く動き続け、緑色の黒板に文字を描いた。動きが止まる。トオル、と、黒板には大きくそう書かれていた。
「初めまして、俺が君達第四班の担当上忍、透遁使いのトオルだ! ヨロシク!」


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