例えばだ。は、あの人があの時なんと言ったか、一言一句を覚えているわけではなかった。しかし凛としたあの音をの耳はちゃんと覚えているし、その彼女の言葉の根本は、の心の中にしっかりと根を張っている。
 やってみなきゃわかんないだろう、と。


   


 が思うに、広い教室の全ての座席が埋まっているわけではないようだった。やはり、あの卒業試験で何名かが落ちたのだろう。は自分の得意な忍術が試験に出た事に、くじ運の神の存在を感じないわけにはいかなかった。嬉しそうにお喋りの輪が広がっている中で、もようやく安堵の溜息をつくことができた。

 は昔から、忍になる事を夢に見てきた。火影だなんて大それたものじゃなくていい。三忍だなんて伝説にならなくてもいい。ただ父や母のような、立派な忍になれればそれで良いのだ。そう例え、目が見えなくても。
 は生まれた時から目が見えなかった。全盲だったのだ。だから親戚の間では疎まれ者だった。親戚には、忍になんてなれないと言われ続けてきた。両親でさえ匙を投げた。の一族、一族は代々伝わる忍の家系だ。はその末裔だったが、目が見えないのでは仕方がないのだと。
 しかしあの人はそうは言わなかった。やってみなければ解らないだろう、と。誰もやった事のある人が居ないのならば、お前がその最初の人間になれば良いと。
 それを言ったのはの祖母だった。各地を転々としている祖母がたまたま家に戻ってきていて、たまたまの話が出ていた。数多の偶然が重ならなければ、は今でもきっと、家の中で引き籠もって生活していただろう。
 一生下忍だって良いのだ。忍者になることこそ、の夢だった。


 今日はアカデミー卒業試験の合格者の集まりだった。これから各班に分かれ、新米の下忍として旅立っていくのだ。卒業生全員が、新品の額当てを身に付けていた。
 もそれを額に巻いていた。ずしりと重たいその額当てには木ノ葉のマークが書かれていて、これからの忍としての未来を指し示してくれている。は自然と緩む頬を押さえつけることができなかった。
! じゃないですか!」
 声がした方を向くと、「やっぱり!」と嬉しそうな声がした。
 すぐ隣に腰掛けた生徒はロック・リー。の一番の友達だ。
「リー……か?」は思わず聞いた。
「ボクですよ。何を言ってるんですか」リーが言った。「この髪型、そんなに似合いませんか?」
 いや、似合うか似合わないかは知らないよ、とは心の中で呟いた。
 リーはが目が見えない事を知らない。というより、はアカデミーの誰にも言っていなかった。もちろん先生達は知っているが、友達の誰にも、は話していなかった。例外がいるとすれば、一つ年下の幼馴染みだ。彼はアカデミーに入る前からが盲目だと知っている。
 幼い頃からそう振る舞えるように修行していたおかげで、が目が見えないだなんて、誰も気付かなかった。が誰にも言っていないのは、馬鹿にされると分かっていたからだ。目が見えないやつが、忍者になんてなれるわけがないと。そんな事を言うのは、親戚の輩だけで十分だ。

 がリーが髪型を変えたと分かったのは、音がしなかったからだ。彼はつい先日まで、腰まで届くような三つ編みをしていた。だから歩いたり少し動いたりするだけで髪の束が音を立てていたのに、今はその音がまったくしない。
「随分……その――バッサリいったな」は言葉を選んだ。
 リーは頷いた(にはそれが、空気とチャクラの動きで解る)。
「この辺りが――」リーは右手を体の上の方に持っていったらしかった。「――スースーしますよ」
「そうか」
 が言った言葉は間違いではなかったようだ。この辺り、というのはおそらく項の辺りだろう。本当にバッサリと切ってしまったようだ。
「似合ってるよ」
 は微かに笑いながらそう言った。しかし勿論、見えていないのだから一体彼がどんな髪型になったのかなど、全く解らない。似合っているかなど論外だ。何故ならは、リーの顔すら知らないのだから。もっとも、そんな事に気付かないリーは嬉しそうだが。
「でも何で急に切ったりしたんだ? 勿体ない」
 それに解りやすかったのに、と心の中で付け加える。
「ボクは分身の術が上手くできませんでしたが、早く動くことで自分の残像を残し合格できました――それで……それで改めて誓おうと思ったんです。忍術も幻術も使えなくても、忍者になってみせるって。伸ばしていたのは、忍者になれますようにっていう願掛けでしたから」
 はなるほどと頷いた。
 リーは忍術が使えない。彼の両親は忍ではないので、遺伝なのかどうかは解らないのだが。彼はチャクラを練って印を結ぼうにも、そのチャクラの存在を掴む事ができないのだ。
 今回の卒業試験の課題は、分身の術だった。だからこそ、も合格できたのだ。昔から分身の術はそれなりに得意だったし、変化の術が使えないにとって、最高の課題だった。もしも卒業試験が変化の術だったり、筆記テストだったらどうなっていたか。
「お互い、良かったな」は笑顔でそう言った。
「ええその通りです」リーも嬉しそうにそう答えた。


「っへ……落ちこぼれが二人して、なーに話してんだよ」
 とリーは、揃って声がした方を向いた。
「いのじろう……」リーが呟く。
 視線の先に立っていたのは山中いのじろう。達の同級生で、アカデミーではいつも上位の成績を修めている生徒だ。ちなみに、は六年間彼と同じクラスだった。彼は忍術も勉強も出来るが、その事を鼻に掛け威張り散らす。そこだけが玉に瑕だとは思っている。
「お前達よぉ、何でこんなとこに居んだ? 此処は卒業試験の合格者だけの集まりだぜー」
「……ボク達二人とも、試験に合格したからです」
 ムッとした様子でリーが言い返したが、いのじろうはわざとらしく間を溜めて、ぷっと噴き出した。彼につられて、他の生徒達も一斉に笑い出す。やめなよォ男子ー、と、諫める女子生徒も居たようだったが、その声もすぐに聞こえなくなった。
「まーたまたまた、冗談キツいねえ。お前らみてーな落ちこぼれが、合格できるわけねーじゃん」
 くつくつと、いのじろうが笑い続ける。
 確かに、いつでもリーが一番の落ちこぼれで、が二番目に成績が悪かった。それはリーが忍術も幻術も使えないからであり、目の見えないは筆記の授業でいつも零点を取っていたからだ。正直な話、は教科書を読んだことすらない。
 にはリーがぎゅっと拳を握ったのが解ったし、自身も米神がひくついたのが解っていた。
「やってみなけりゃ解らないだろ、それに実際、俺達は合格したんだ」
「フーン……マグレだろ、マグレ!」
「っだとコラァ!」
 誰かがあっと叫んだ時には、既には机を叩き、立ち上がっている。慌ててリーが押さえ付けているが、が振り解くのも時間の問題だ。には相手の表情こそ解らないものの、いのじろうがニヤニヤと笑っているのが手に取るように解るようだった。
「ね……ねえ、いのじろう君も君も、もうやめようよう……先生が来ちゃう」
 二人が睨み合っていると、少し離れた所からおずおずと声が掛けられた。
「止めんなよ、スズリィ。何? おまえソイツの事好きだったりすんの?」
 そ、そういうんじゃないよう、と先程の声の持ち主が言う。の勘違いでなければ、彼女はくノ一教室のスズリだ。自分とはあまり接点がないが、確か大人しい子だった筈だ。せっかく下忍になれたというのに、初っ端から喧嘩が起こりそうな雰囲気に、居てもたっても居られなくなったのだろう。
「へっ……知ってっか? アカデミー卒業生の内、半分しか本物の忍者にゃなれねんだぜー。後の半分はまた学校に戻るか、忍者になるのを諦めるか、だ。落ちこぼれコンビが偶然にも試験に受かったからって、下忍にはなれねーよ――お前もそう思うだろ、ネジ」
 いつのまにか、いのじろうの傍らにもう一人の男子生徒が来ていた。彼の名前は日向ネジ。同期の中で、一番の実力を持った男だ。日向という名門一族の血を受け継いだ男でもある。
「どうだって良い。こんな奴らに構っているだけ無駄だ、いのじろう」
「へっ……それもそうだな」
 いのじろうはそれきり興味を失ったらしく、とリーに一瞥を投げてからネジ達の方へと背を向けた。にしか聞こえない声で、「嫌味な奴ですね」とリーが呟いた。は首を振るでもなく、ただ彼の背中が有る筈の方向を、教師が来るまでの僅かな間ずっと睨み付けていた。


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