ストーツヘッド・ヒルの隠れ穴へ


 は自分の持っている鳥籠が空っぽだった事に、この時ほど感謝した事はなかった。籠の主であるデメテルは、数日前から郵便配達に出ていた。
 確かに昔、幼い頃に父親とクラッブの家に遊びに行っていた時は、いつも煙突飛行だった。しかしは元からあれが好きではなかったし、最近はめっきりと使っていなかったので、上手く移動できるか不安だったのだ。加えて、煙突飛行どころか、今までに行った事もない場所だ。思った通り、右手でしっかりと掴んでいるトランクや、本当に抱えているだけの鳥籠は、ガコンガコンとあちこちの暖炉にぶつかって、自身にも少なからずダメージを寄越していた。仮に鳥籠の中に梟が居たら、がそれを最後まで持っていられたかは疑問だったし、籠の中のデメテルも無事では済まなかっただろう。
 ウィーズリー家の暖炉に無事に到着した時、ずっと取っ手を握り締めていた右手は既にくたくたで、自身もひどく草臥れていた。括っているだけではあるが髪の毛がボサボサになっていたし、先程思いっきり熱い灰を吸ってしまったせいで、は涙目になるほど咽せていた。しかし隠れ穴に到着した際、飛び上らんばかり驚いてしまった事は、隠しようがなかった。
「言ったでしょう! あんなガラクタ、捨てなさいって!」
 は暖炉から体を引っ張り出した瞬間その言葉で出迎えられ、先程まで浮かんでいた涙が一瞬にして引っ込んでしまった。がやってきたのは、どうやらキッチンらしく、すぐ側に流し台があり、数々の野菜や調理道具が並んでいた。誰も居ない。
「……あたし何かした?」は思わず、そう呟いてしまった。

 大声で怒鳴っていたのは、ロンやジニー、フレッドやジョージ達の母親だった。モリー・ウィーズリーは、ちらりとキッチンから顔を覗かせたを見ると、パッと表情を変えた。鬼のようだった顔が、柔和な母親の顔になった。
「まあ、まあ! いらっしゃい、ちゃんね? 夫から話は聞いてるわ。よく来てくれたわね」
「こんにちは、ウィーズリーさん。少しの間お世話になります」
 トランクを脇に置き、はウィーズリー夫人と握手した。
 が見た限り、先程までしおらしく説教を受けていたのに、フレッドとジョージはやってきたのがだと知ると、過剰と言えるまでの反応を寄越した。彼らは二人揃って、の名前を疑問符付きで大絶叫した。
「お客様っての事だったのか?」
「聞いてないぜ!」
 フレッドが言って、それからジョージがそう付け足した。ウィーズリー氏からどう聞いていたのかは知らないが、彼ら二人はの来訪を全く知らされていなかったようだ。はビックリ顔をしたままの二人を見て、小さくくすくすと笑った。
 は、新学期が始まるまでの後の数週間、このウィーズリー家で預かってもらう事になっていた。それは、の名付け親がクィディッチ・ワールドカップのチケットを偶然にも手に入れたからだった。しかしチケットは生憎と一枚きりしかなかったし、名付け親は闇祓いであり、彼が勤めている闇祓い部は今現在、あのシリウス・ブラックの件でてんやわんやしていた。自宅がどちらなのかと解らなくなるほど、の名付け親は魔法省に入り浸っていたくらいだった。彼はがクィディッチが好きだと知っていたので、どうにかして行かせてやりたく、しかし自分はそんな時間すら取れそうもない。だから、知り合いで尚かつクィディッチ観戦に行く予定の知人に、を頼む事にしたのだ。
 名付け親の知人であり省の同僚が、フレッド達の父親であるアーサー・ウィーズリーその人だった。ウィーズリー氏はを一緒にワールドカップに連れて行く事を喜んで承知してくれた。その後紆余曲折があり、は新学期が始まるまでの二週間程度、ウィーズリー家に泊めさせてもらう事になったのだ。試合がどのくらい続くかも解らなかった事が一番の理由だが、話が進むに連れ、段々ととウィーズリー家の一人娘であるジニーとがとても仲良しである事が発覚したので、は残りの夏休みをウィーズリー家で滞在する事になった。
 だから、当事者であるジニーはが来る事を知っている筈だが、フレッドとジョージは知らされていなかったようだった。
「あー……あたしでごめんね?」
「全然! そんな事ないよ!」
「むしろ最高だぜ!」
 ウィザード・ウィーズとかどうとか、飴が何とか、はどう反応すれば良いのか解らなかったので、取り敢えずそう言ったのだが、二人は一斉に否定した。後から叫んだフレッドが、本当に心の底から言った事が目に見えて解った為、はまた少しだけ笑った。

「――すいません、ウィーズリーさん、あたし久しぶりの煙突飛行で疲れちゃって……休ませてもらっても構いませんか?」
「え? ……ああ、そうよね! 気付かなくてごめんなさいね。重かったでしょう……」
 ウィーズリー夫人が本当に心配そうに、眉を下げてそう言ったので、は少しだけ良心が痛んだ。おばさんが「部屋が無くて、ジニーの部屋に泊まってもらう事になったの。ハーマイオニーとも一緒なのよ――ハーマイオニーとは知り合いだったわよね?」と付け足したので、はすぐに頷いた。
「僕らが案内するよ、ママ!」
「うん、僕らがの荷物を運ぶよ、ママ!」
 フレッドの声もジョージの声も、どこか切羽詰まっていた。それはにも解るほどで、夫人にもやはり解ったのだろう、彼女が返事をするまでに少しだけ間があった。しかしという客人の前だからか、やがて「ええ」と言った。
「フレッド、ジョージ、のトランクを持っていってあげなさい」
 双子は二つ返事を返し、半ばを急かすようにして居間を出て、階段の中頃に差し掛かった頃、揃ってに礼を言った。
「ありがとう!」
「ああ、来てくれたのが君で本当に良かった!」
「そりゃ、良かった。でもこれっきりだよ、おばさんを騙すみたいな真似」
 フレッドとジョージは、ああと頷いた。フレッドがトランクを、ジョージが鳥籠を持ってくれていたので、は殆ど手ぶらだった。何だかやけに狭くて急な階段を上りながら、は尋ねた。
「ねえ、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズって何?」
 先を歩いていたフレッドがちらと此方を振り返り、の後ろに居るジョージと目配せをしたのが解った。
「まず聞きたいのはこっちだぜ。どうしてがうちに?」
 はワールドカップのチケットを手に入れた事や、保護者の関係でウィーズリー家に来る事などを、端折りながらも説明した。やがて納得したらしい二人は、頷きながらもぼやいた。
「通りで、迎えに行く時に着いてくって言わなかった筈だよ」
「ジニーの奴、教えてくれたって良かったのに」
「もしかしたら、お客様を独り占めしたいって思ってるかもしれないでしょ?」
 は聞こえてきた声に顔を上げた。フレッドの赤毛の向こうに、もう一人の赤毛が見えた。この双子が何らかの悪戯をする時、ダイヤモンドにも負けないほどキラキラと目を輝かせるのだが、今の彼女の表情もそれに負けないほどキラキラとしていた。ジニーは満面の笑みを浮かべ、階段を上った先の所で待っていた。
「いらっしゃい、!」

「レディーの部屋に勝手に入るつもりだったの? ハイご苦労様!」ジニーはそう言ってフレッドからの荷物を掠め取り、に付いてくるよう促した。はクスクスと笑いながら、ジョージから鳥籠を受け取り、フレッドの脇を通り過ぎて彼女の元へと行った。
 更に上の部屋から見知った顔が現れたので、は少し驚いた。そして、ジニーが誰を迎えに行かなかったのかをすぐに理解した。
「お客って、の事だったのか?」
 目を白黒させているロンがそう言って、その後ろからはハリーとハーマイオニーも顔を覗かせている。フレッドとジョージと全く同じ事をロンが言ったので、は再びくすくすと笑った。
「まあね。久しぶり、ロン。ハリーも居るんだ? ハーマイオニーも久しぶり」
 三人とゆっくり挨拶を交わしたかったのだが、はすぐにジニーに手を引かれたので、蹌踉めきながらも彼女の後へと続いた。階段の下の段で立ち止まっているフレッドとジョージに手を振り、はジニーの部屋の扉をくぐった。
「此処よ」ジニーが言った。
 ジニーの部屋は確かにの部屋より小さかったが、ずっと女の子らしかった。細々とした可愛らしい小物が置いてあり、その一つ一つにジニーのセンスが感じられた。壁にはホリヘッド・ハーピーズのポスターが貼られている。無理矢理詰め込んだのだろう、ジニーが普段使っているらしいベッドの他に、もう二つ簡易式のベッドが置いてあった。
 が部屋の隅々まで眺め回していたのが恥ずかしかったのか、ジニーは少しだけ申し訳なさそうに、「狭くてごめんなさい。でも他に部屋が無いから……」とぼそぼそ言った。
「全然! 素敵だよジニー! あたし、誰かと一緒に寝るのって久しぶり!」
 久しぶりも何も、は名付け親とは一度たりとも一緒に寝た事などなかった為、ハンナの家に泊まった時ぶりだ。その親友のハンナとは、この一ヶ月以上の間、ずっと会っていない。手紙は何度か交わしたが、ブラックの逃亡の件で保護者が神経質になっているせいで、は外を出歩く事すらできていなかったのだ。
 が勢いよく言ったのが面白かったのか、ジニーは微かに笑った。嬉しくなって、も笑った。誰かとこうして過ごすのは久しぶりだった。は新学期が始まらなければ良いのにと思いながら、ゆっくりと扉を閉めた。


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