目映い日差しが露出された肌をちりちりと焼き付けている中、私は体の芯から凍り付いた。友達は私が緊張していると思ったのだろう、勢いよく背中を押してくれた。ふらっとよろめきながら、は前に進み出てしまう。深く制帽を被った調教師の人が、(多分)にこやかに迎え入れてくれた。これが知り合いの一角さんやデビさんだったら、の気持ちを汲んで誰か別の人を指名してくれるかもしれないが、生憎とさっきまでショーをしていたのは馴染みのない人だった。いや、もしデビさんだったら、面白がって無理やりにでもさせたかもしれない。
 ともかくも、は大勢の観衆に見られながら、一頭の雄のシャチの前に立つことになったのだ。――サカマタさんである。

 丑三ッ時水族館に来たのは、特に行きたいところが浮かばなかったからだ。まあ、いつも経営者の知人として来ているのだが、たまには客として来るのも悪くない。伊佐奈だって喜ぶだろう。
 友達と二人、客として訪れた丑三ッ時水族館はなかなか楽しかった。流石巨大なテーマパークなだけはある。水族館の目玉だろう動物ショーも、館の実情を知っているでさえ楽しめた――いや、知っているからこそだろうか。イルカやアシカ、変わり種ではペンギンのショーもあったが、中でもが凄いと思ったのは、シャチのショーだった。
 サカマタさん、芸達者だなあ。
 中の人――もとい中の動物を知っているは、あの白いスーツを着て、海のギャングだなどと自称するサカマタが、ああも素晴らしい芸の数々をこなしているかと思うと笑ってしまいそうになった。しかし、サカマタだろうとそうでなかろうと、シャチのショーは素晴らしいの一言に尽きた。輪くぐりなど序の口で、巨大なシャチが調教師の言うことをきっちり聞いて、大ジャンプをしたり芸をしたりするのには、感動さえ覚えた。あまり動物に興味のなさそうだった友達でさえ、ショーの後に行われるふれあいコーナーに行ってみようというくらいなのだから、相当のものだ。
 丑三ッ時水族館はもはや、にとって身内のようなものだった。彼らのことが褒められれば、も嬉しくなった。テンションの上がったが友達と連れ立って、件のふれあいコーナーに行ったって、何の問題もない。
 それが間違いだった。

 ふれあいコーナーでは、文字通りショーを行った動物達と触れ合うことができた。セイウチやペンギンと記念撮影ができたり、イルカに触れたり。中でも人気なのは、シャチとの、ちゅーだった。
 先着五名でしか行われないそれは、なんというか、サカマタのことを思うと涙が出そうになった。いや、動物に戻っている時は理性は無いんだろうか。何にせよ、そういう企画がある時点で、サカマタは嫌がっているに違いない。それでも敢行されている時点で、彼のプロ根性が窺える。伊佐奈さん、いつか噛まれるんじゃないだろうか。
 シャチとのキスは大人気だった。「シャチとちゅーしたい人ー!」という声掛けに、方々から手が挙がっている。友達が勢いよく手を挙げていたので、は少しだけ驚いた。彼女は目立つことは嫌いだった筈だが。それだけサカマタさんのショーが凄かったんだな、と、その時はまだはほっこり和むだけだった。
 彼女が何回も飛び跳ねてアピールするものだから、調教師の人がノリノリで彼女を指名した。そして友達は、何故か私の背を押した。
「……え? 何? え?」
「ほら行ってきなよ。良い思い出になるよー」
「…………え? え? えええ?」
 友達はにこにこ笑っている。
 どうも、彼女は私がシャチ・キッスできるように頑張ってくれていたらしい。が固まっているのを見て、「、シャチ好きでしょ?」と不思議そうにしていることから考えるに、本気で私の為を思ってやってくれたようだ。確かにはシャチが好きだった。携帯ストラップはシャチだし、待ち受けもシャチの画像だった――シャチが好きだというか、サカマタさんがシャチだからシャチが好きだというか。
 友達の優しさと、相手が実はサカマタさんだということに、はそっと涙した。

 サカマタさん(シャチ)とのちゅーは、とても肉々しかった。



「あっ……――サカマタさん、こんにちは」
 が声を掛けると、その巨体が僅かに揺れた。気がした。
「……おまえか」サカマタが呟いた。

「おまえ、先週の昼間、丑三ッ時に来ていやしなかったか?」
「……来てました」
「……それでおまえ、ショーも観ていなかったか?」
 返事が出来なかったが、どうやらサカマタはそれを肯定だと捉えたらしい。少しの間沈黙が流れた。サカマタさんがそわそわしている(気がする)のを見るに、どうやら気まずいのはだけではなかったようだ。
「あの、サカマタさん、一つお尋ねしたいんですけど」
 サカマタがちらりとを見下ろした。多分、質問して良い合図だろう。多分。
「変身していない時って、考え方とかどうなってるんですか? やっぱり普通の動物なんですか?」

「そうだ」サカマタが言った。「……普通はな」
 は絶句した。
「ショーの時だけは、違う。調教師とも連携が取れるよう、理性は保たれている」
 じゃあサカマタさん、例のキスタイムの時もいつも通りなんですね! すごいですねサカマタさん、ちゃんと仕事と割り切ってるんですね! よっ、仕事人! なんて、軽口は叩けなかった。の顔が朱に染まる。それでは何か、あの例の時、シャチだったサカマタさんは実はいつも通りのサカマタさんで、私がキスしたシャチはサカマタさんだけど実はただのシャチじゃなくて――。


 すっかり固まってしまったと、同じく微動だにしないサカマタを見て、一角が一人「愛!」と叫んでいた。



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