身近に気配を感じたものの、は顔を上げなかった。何故ならば、自分のすぐ脇に今まさにやってきたのが誰なのか、振り返らずともはっきり解っていたからだ。ドス・キヌタだ。ドスは無言のままで部屋の隅に立っている。そしても何も言わなかった。今のにとって、親切な担当上忍として何か用かと助け船を出してやるよりも、忍具の整備をすることの方がよっぽど重要だったのだ。
 が無視を決め込んでいるせいかどうかは知らないが、ドスは明らかにまごついていた。しかしながらそれ以上の行動に移さない。口がきけない訳でもあるまいに、なお押し黙っている来訪者に辟易して、ついにが声を掛けた。端的に言うと、彼に注意を向けているのが面倒になったのだ。
「ドス、何か用なの?」
 普段通りの声色だ。もっとも、の視線は相変わらず忍具に釘付けだったが。
 が声を掛けたことで俄かに勇気付けられたらしい。ドスが纏っていた不安げな雰囲気が僅かに消える。彼は、「特に……用がある、というわけじゃあないんですがね……」とボソボソ言った。随分と歯切れの悪い返事。口元に巻かれた包帯が原因ではないようだが。は内心で溜息を吐く。


 ドスの忍具の扱いは、迅速なうえに丁寧だった。下忍の中でも抜けているだけはあるのかもしれない。担当している身としても鼻が高い。クナイや手裏剣を磨くのを手伝わせながら、改めてそう思う。
 大蛇丸様によって造られた音隠れの里は、木ノ葉隠れの里の忍システムを踏襲している所が多々ある。無論、大蛇丸様が木ノ葉出身であるからに他ならない。任務は四人一組で行うところなどまさにそれだ。
 木ノ葉流の言い方をするなら、はドスの担当上忍だと言えるだろう。術の関係上、は彼と組むことが多々あったし、抜け忍のは里外の任務に向かないから、彼らのような若い下忍の鍛錬の相手となることが多い。のことを先生と呼ぶ下忍も存在するほどで、ドスもその内の一人だ。
 自分が鍛えた下忍が強くなってゆくのは嬉しい。の担当をしていた上忍もそんな思いだったのかもしれないと、近頃では思うようになった。
「先生、任務なんですか」
 ドスが口を利いた。
 そういえばこの子、一体何の用で来たのだろう。特に用があるわけではない、彼はそう言ったが、そうでもなければわざわざの元まで来ないだろう。
「ええ、そうよ。まだ随分と先のことなのだけれど」
「木ノ葉崩し、ですか」
 声変わりし始めたばかりの声が、嫌に部屋に響いた。
「勘の良い子ね」

 このくらいの年の子は、もっと騒がしいものなんじゃないのか。自身がどうだったかなど、はとうに忘れてしまった。彼と三人一組を組んでいるザク・アブミ、キン・ツチ、そのどちらももっと口数が多かったように思うのだが。寡黙であることと、落ち着いていることはイコールでは結ばれない。
「先生、ボクは木ノ葉へ行くことになりました」
「ええ知っているわよ。私も鼻が高いわ」
 ドス達三人が木ノ葉で行われる中忍試験に潜入することは知っていた。「うちはサスケ」抹殺の為だ。彼らにそれを告げたのはだったし、彼らの本当の忍務すら知っている。
 同じように、にも忍務が課されていた。木ノ葉崩しだ。生まれ故郷に未練はなかった。が持つのは、大蛇丸様への忠誠心だけ。木ノ葉に乗り込むのはまだひと月ほど先だが、忍具は完璧に整えておかなければならない。
「あなた達には大蛇丸様が直々に付き添って下さるのよ。私が代わって欲しいくらいだわ。頑張りなさい」
「先生、ボクは――」
「手を休めないで」
 忍具を磨くドスの手は、いつしか止まっていた。そして彼は頷かなかった。
「先生、ボクが忍務を全うしたら、褒めてくださりますか」

 うっかり――うっかり、の手まで止まってしまった。
 訝しんでドスの方に目を向ければ、何の事はない、いつもの無愛想な包帯面が此方を見詰めている。
「褒めて……欲しいの。私に?」
 が問い掛けると、ドスは頷いた。当たり前だが彼の表情は読めない。やがては、「そうね、あなたが無事に帰ってきたら褒めてあげるわ」と、そう呟いた。は――敗北を認めたのだ。
 包帯に覆われていながらも、彼の纏う気配が微かに変化したような気がする。
 先生、忘れないでくださいね。ドスがいつもの調子で、淡々と言った。



「頑張りなさいね、ドス」誰にも聞かせるつもりはなかった。
 ドスがはいと頷いた時、彼の聴覚が優れていることを思い出した。先程までよりも楽しげな雰囲気を滲ませながら、彼はクナイを磨いている。
 今度こそ、は聞こえないよう浅く溜息を吐き出した。
 ドス・キヌタが自分を慕ってくれていることにはとうに気付いている。それが師弟の情なのか、他の何かまでかは興味がないが。そして、だって鬼ではない。
 感情を殺すことは忍の十八番だが、彼に対する親しみはある。にとって最も重要なのは、大蛇丸様のお役に立つことだ。ドスに課せられた任務も解っている。うちはサスケの殺害ではなく、サスケの実力をその身を持って確かめることだということを。ドスの先輩として、師として、同じ音隠れの忍として、彼には忍務を成功させて欲しい。ただ、個人として彼に無事に里へ戻ってきて欲しいと、心の奥で願わずにはいられなかった。



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