ホグワーツを卒業してから数週間が経った。日本へ帰ってきたは、アルバイトをしながら大学へ入る為の勉強をしている。日本の大学は四月から始まるが、ホグワーツが終わったのは六月だ。残念ながら恐ろしいほど時間がある。そういうわけで、今のは信長による焼き討ちが何年に行われただとか、複雑にもほどがある公式だとかを頭に詰め込むのに必死になっているのだった。英語に時間を割かなくていいことだけは救いだろうか。
 何にせよ、の頭の中は魔法のガラクタがいっぱいに詰まっているので、マグル式の「勉強」を今更やらなければならないのは苦痛に等しい。
 先日、友人のウッドにその旨を伝えた手紙を出したのだが(というかまあ、愚痴ったのだが)、返ってきたのは「そんなことよりクィディッチしようぜ」という、何とも思いやりの欠片もない返事だった。だからこそ彼に送ったのだが、解せない。あれこれ世話を焼かれるのも鬱陶しいが、少しも心配されないのはそれはそれで嫌だ。
 はふと、机脇にあるカレンダーへと目をやった。七月に入って一週間が経とうとしている。我ながら子供っぽいかなとも思ったが、毎日日付に×印をつけることが、ここ最近の一番の楽しみになっていた。とうとう今日は七日、七夕だ。
 先程から参考書を広げてはいるものの、ちっとも頭に入ってこない。パーシー・ウィーズリー辺りが知れば、眉を寄せてもっと集中しろと怒るだろう。もしくは、何か悪い物でも食べたのかと的外れな心配をするかもしれない。
 今日のはそわそわと落ち着きがない。まるで遠足の前日に寝付けない子供のようだ。

 シャープペンシルをくるりくるりと回していた時、インターフォンが鳴った。
 シャーペンは、飛んで行った。立ち上がるのと、電気スタンドの灯りを消すのと、椅子を引くのを同時にやろうとしたせいで、はしこたま膝を机にぶつけ、よろめいた。テンパり過ぎだ。しかし吹っ飛ばした椅子を直しもせず、部屋を出ると転がるように階段を駆け下りた。
 玄関から流れてくるのは、焦がれたテノール。
 の母は英語が話せない。せいぜい中学生レベルの英語力しか有していないだろう。目の前でべらべらと喋る外人に戸惑っていたが、がやってきたことに気付くと、彼女はホッと表情を緩ませた。そして、がその訪問者――リーマス・J・ルーピン――に勢いよく抱き着くと、母はぽかんと口を開けたのだった。


 とルーピン先生――いや、リーマスは、宛もなく辺りを歩いていた。
 再会を果たしてからというもの、リーマスがにまず言ったことと言えば、ファーストネームで呼ぶようにということだった。ホグワーツに通っていた時は、勿論は彼の事はルーピン先生と呼んでいた。当たり前だ。しかしリーマスは「私はもう教師ではないし、君ももうホグワーツの生徒ではないのだから、先生などと余所余所しい呼び方はしてはいけない」と言ったのだ。まるで駄々を捏ねるかのように。彼をリーマスと呼ぶのは、未だ気恥ずかしい。
「リーマスったら、私がどれだけ待ち草臥れたか知らないでしょう」
「悪かったと思っているよ。でも、よければ日本とイギリスとの時差を考えてくれないか。間に合ったのだし、そもそもこうして来られたことを褒めて欲しいと思うのだが」
「あーら」が言った。「知らないわ」
 英語で喋るのは久しぶりだった。リーマスはもちろん日本語を話せない。二人はコンクリートで覆われた日本の道を歩きながら、英語を話す。にとっての英語は、自分と魔法界を繋げてくれる言葉であり、そしてリーマスとも結び付けてくれる大事な大事な言葉だった。
 英語が世界の共通語って、こういうことかしら。もちろん、違う。
「ひどいなあ、君が何度も何度も手紙を寄越すから、こうして君の所へ来たのに」
「良かったですね、執念深いのがスリザリンだけじゃないって解って」
 二人はどちらともなく笑った。

 の誕生日は七月七日、七夕だ。織姫と彦星が一年に一度だけの逢瀬をする大切な日。リーマスにそれを教えた時、彼はとても興味深そうに何度も頷いていた。イギリスには七夕の習慣は無い。
「だったら私も、そのヒコボシにあやかって君に会いに行こう。そうして、君が生まれたことに感謝するんだ」
 リーマスがそう言って、を赤面させたのはいつの事だっただろう。
 言われた時こそ恥ずかしかったものの、それ以上に嬉しかった。は何度も何度も、リーマスが七夕の日にの元を訪れることを約束させた。
 しかし現実は甘くなかった。彼は狼人間だった。
 その事を知られたリーマスは、が自分を拒絶すると思ったようだ。七夕の約束も無しにしよう、彼はそう言ってが何かを言う前に自分から壁を作った。もちろんは納得しない。何度も何度も彼に手紙を送り付けた。私はそんな事気にしない、そんなことを私が気にすると本気でそう思っているのか、私の愛を疑うのか、もちろんまさか約束を破ったりはしないだろう、もし七日に来なかったら一生呪いを送り付けてやる等々。折れたのは、リーマスだった。


 リーマスが七夕の飾りを見てみたいというので、二人は笹が飾られていそうなところを探して歩いていた。しかしなかなか見つからない。これがクリスマスツリーなら、それこそ至る所に置いてあるのだが。どこか店にでも入れば笹の一本や二本、飾ってあるだろうか。別に笹くらい買ったって良いのだが、そうすると良い年した男女が自分で雪洞やら輪飾りやらを作らなければならなくなる。御免被りたい。
 ……いや、もしかしたらリーマスは喜ぶかもしれないけど。前に鶴を折ってみせたら異常なまでに興奮していた。しかしだからといって母親の前でそれをやるのも如何なものか。の心中は複雑だ。
「少し曇ってきたようだね」リーマスが言った。
 生憎と、今日は快晴とはいかなかった。空には薄灰色の雲が漂い、心なしか空気も湿っている。雨は降らなさそうだが、これでは天の川が見られるかどうか。そのことを告げると、リーマスは目に見えてがっかりした。曰く、自分だけ恋人に会っているのが後ろめたいのだとか。恥ずかしいことをさらりと言われた気がするが、とりあえず杖を取り出そうとするのを必死で止めた。

「私の幸せを、彼らにも分けてあげたいくらいだ」やっと笹飾りを見付けた時、リーマスはそう言っての手を握った。日本に居るからだろうか。やけに気恥ずかしく、は仄かに顔を赤らめたのだった。



 リクエストして下さったトウヤさんに限り、お持ち帰り可能です。ルーピン先生の七夕ネタということで、勝手ながら三巻終了後とさせて頂きました。上げるのが遅くなってしまい、申し訳ありません。七夕の日が誕生日なんて、素敵ですね。リクエストありがとうございました。  130303 玄田

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