事が起こったのは、四日前の朝だった。梟便の時間だ。に届いた、一通の手紙が原因だった。
 しかしその「事」に対し、には何の責任もない筈だ。双方で約束をしていたわけでもないのに、単に手紙で呼び出されたからと言って、絶対に行かなければならないという法は無い。断じて無い。しかし、あの――例のあの男が、毎日毎日チラチラチラチラとを見てくる。彼から手紙が送られてきた事は誰にも知られていなかった筈だったのに。ルシウス・マルフォイが連日の夜更かしの末、魔法史の授業で失神して医務室送りになった事に、が何らかの形で関わりがあるのだと、今ではスリザリンの九割方の生徒が知る事になっていた。
 は一切悪い事はしていない。確かに、彼に呼び出されはした。三月十一日の夜、第四教室(いつも使われていない空き教室だ)に来て欲しいと。それを無視したからと言って、に罪は無い筈だ。もっとも、全く無いとは言わない。シカトしたわけだから。しかし、マルフォイが目の下に真っ黒い隈を作ろうと、ブロンドの艶が無くなろうと、ぶっ倒れようと、全ては彼自身の体調管理のだらしのなさに責任がある筈だ。それなのに、は何人かの友達から「ルシウス・マルフォイと何かあったのか」と聞かれたし、あまつさえヒソヒソと指をさされるのだ。一体どうして? どうして?



 その日の夜、は友達の誰にも気付かれないよう、そっと談話室を抜け出した。地下通路沿いに歩き、突き当りの第四教室へと足を運ぶ。思った通り、ドアには鍵が掛かっていなかった。開錠呪文を使おうとローブに手を伸ばしていたが、その必要はなかった。実のところ、としては鍵はいつも通り閉まっていて欲しかったし、できれば部屋の中は真っ暗であって欲しかった。
 教室の奥の方に生徒が一人座っていて、脇にはランプが一つ置かれていた。
 此方を振り返った彼の顔は、カンテラの微かな灯りにも関わらず、具合が思わしくない事が目に見えて解った。「やあ」と言ったルシウスは、驚いていると同時に嬉しそうに見えた。もしかするとの自惚れかもしれないが、そんな事はどうでも良い。

 は不機嫌を隠そうともせず、鼻に皺を寄せた。そんなには少しも気が付かなかったようで、ルシウスはゆっくりと立ち上がり、そして微笑んだ。
、来てくれてありがとう。嬉しいよ」
 ルシウスが言った。そんな彼を、注意深く観察する。やはり少々疲れ気味だ。
「そう」はなるべく素っ気ない声を出すように努めた。「それで?」
「こうして直接、君の誕生日を祝いたかったんだ。少し遅れてしまったけど――、誕生日おめでとう」
 ルシウスは微笑んでみせた。
「どうもありがとう。それで、もう帰っても構わないかしら」
「つれないな」ルシウスが言う。「もう少し、お喋りに付き合ってくれてもいいだろう?」
 彼の顔には微かな焦りが浮かんでいた。そしては願うのだ。ああ、やめてくれと。


 はルシウスのことが好きだった。大好きだった。今でこそ、二人の居る世界は違っている。の、ルシウスはルシウスの道を歩んでいる。二人で一緒に戯れたのは、もうずっと過去のことだ。二人でいつまでも一緒に居られたら素敵ねと他愛のない冗句を口にしていたのは、ずっとずっと過去のことなのだ。思い出すのにもひどく心を痛めるほどに。
 ――ああ、貴方は知らないだろう。私があの手紙を見た時どれだけ喜び、そしてどれだけ苦しんだか。貴方は知らないだろう。その気のない些細な言葉に幾ばくもの希望を見出し、そして同じだけの絶望を目にするのか。
 できることなら、何も考えずに貴方の囁くその愛に応えたい。応えたいのだ。貴方が私と同じだけ愛していなくても構わない。貴方と一緒に居られたらそれで良い。

 しかしそれは出来ない。はもう、子供ではない。自分の望みが叶う筈のない絵空事だと知っている。知って、しまっている。
 性質が悪いのだ、ルシウスという男は。が本心でどう思っているかなど、彼にとっては全く関係がない。どうだって良いことなのだ。

「あなた、シシーに申し訳ないとは思わないの」
「シシー? ああ……ナルシッサのことか」ルシウスは薄っすら笑った。
 人を小馬鹿にしたような、不思議と腹の立つ微笑みだった。少なくともにはそう感じられた。
「どうせ親の決めた婚約者だ。気にする必要はない。僕が愛してるのは君だけさ」
 が顔を顰めたのを今度こそはっきりと目撃し、ルシウスは苦笑いを浮かべた。


 つかつかと目の前まで歩み寄ってみせれば、それまでの余裕はどこへ行ったのか、ルシウスはその端正な顔に少しばかり不安げな色を滲ませる。は真正面から彼を見上げた。ここ数年で、彼はぐんと背が伸びた。背が高かったのはだった筈なのに。薄い青灰色の瞳を見詰めながら、この男は自分の気持ちを少しも解っていないのだろうと思う。――そして同時に、知られたくないとも。
 ローブの胸元を掴み、ぐいと引いてやる。
「だったら――」ルシウスの顔は戸惑いを露わにした。「――駆け落ちしてよ」
「そうして私だけを愛してよ」
 彼が何かを言う前に、は言葉を紡ぐ。
「知っているわよ。できないでしょう。マルフォイを捨てて、ブラックを捨てて、なんてできないでしょう。あなたはルシウスですものね。恋人ごっこがしたいなら、誰か他の女とすれば良いわ。ごっこ遊びだけだなんて、私は嫌――知らなかったでしょう。私が我儘な女だって。知らないでしょう、私がどれだけあなたを望んでいるのかなんて」
 それができないなら、もう私に構うのはよして。

 ルシウスは暫く黙っていた。握っていたローブを離してやれば、ルシウスはゆっくりと正しい姿勢に直る。少しだけ皺が寄ってしまっていて、申し訳ないと思う反面、構うものかとも思う。やがて、かつんと軽やかな音が耳に響いた。何の音なのかとが眉を顰める前に、ルシウスが言う。「必要がなかったわけか、こんなものは」
 ぐっと腕を引かれた。
 強い力で腰を引き寄せられ、は目を瞬かせた。
「言ったろう。僕が愛しているのは君だけだ」ルシウスが言った。
「それで、何か? 僕をくれてやれば、君は僕のものになるのか?」

 呆気に取られつつ、彼の薄い青灰色の目を見詰めていると、ルシウスは笑った。が今までに見たことがない顔で。獲物を仕留めた時の蛇のような顔で。良い条件だな、対等で。と、彼は付け足した。この日、はとんでもないものを貰ってしまった。


 リクエストして下さった通りすがりさんに限り、お持ち帰り可能です。学生ルシウスということで、心なしか余裕のなさそうな感じにしてみました。上げるのが遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。リクエストありがとうございました。  130303 玄田

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