心なしか、長針が時を刻む音が大きく聞こえた。セブルスが壁に掛かっている時計の方を見ると、いつの間にか日付が変わっている。クィディッチ杯も終わり、五月に差し掛かった今、セブルス達教師は試験課題の作成や、生徒達への最後の追い込みを仕掛けなければならなかった。特に、今年の五年生は厄介な学年だから尚更だ。採点に追われ、ベッドへ行くのが零時を過ぎているなど序の口だった。
 インク壺に羽ペンを置き、左手で目元を押さえた。少し目を閉じると、それだけで眠ってしまえそうだ。ああ、今日は何時に寝られるだろう――そう考えた時、ふと、紅茶の香りが鼻腔を掠めた。
 バッと振り向くと、ティーカップを二つ持った、が立っていた。
「先生、お茶飲みます?」

 セブルスが何の反応も返さなかった事を、彼女は肯定と受け取ったのだろうか。
 「アールグレイです」とか何とかは言いながら、勝手にセブルスの机にカップを置いていった。それから自分の分であろうティーカップを持ったまま、まるで自然な動作で備え付けのソファの方へと戻っていく。よくよく見てみれば出されたカップも、その中身も、全てセブルスの私物だった。彼女が座っている椅子だって、セブルスの物だ。抜き放たれた刀が元の鞘へと収まるように、彼女は全く違和感なくそこに座り込んでいる。
 米神がひくひくと動くのを感じたが、それ以上に紅茶の香りが胃を刺激した。
「ミス・、今が何時か解っているのかね?」
「やだ先生、ご自分の部屋に時計がある事、忘れちゃったんですか?」
 はくすくすと笑った。
「十二時十七分ですよ」
 笑いながらも律儀に答える彼女は、基本的には優等生だ。基本的には。
 教師の手を煩わせる事もないし、授業に遅れたりサボったり、宿題をしてこない時だって一度たりともない。普段の生活面から見ても、彼女は模範的な生徒で、校則を破る事もなければ揉め事を起こしたりもしなかった。セブルスだって、自分が寮監であるという事を含めても、数居る教師の中で一番に懐かれたのが自分だった時は、僅かながら嬉しさを感じていた。が、どうも、彼女が自分に懐いているのは、教師への尊敬やらが理由ではないらしいと最近知った。

「ミス・、消灯時間がとっくに過ぎている事を知っているかね?」
「まさか。知ってますよ。どうしてそんな事を?」
 けろりと言ってのけるに、セブルスは頭を抱えた。


 彼女、は、どうも自分を好いているらしい。異性として。
 先日どうしてこうも自分に懐くのかと問い詰めてみれば、何て事はない、ただ好きな人の側に居たいと思って何がおかしいのかと逆に問われた。彼女がそれ以上の行動を起こす様子が無いものだから、大抵は好きにさせている。その内に飽きるだろうと。しかしながら、彼女のアプローチはここ数年途切れることなく続いている。
「我輩は先程、君に寮へ戻れと言った筈だがね」
「言われた覚えはありますけど、了承した覚えはないですよ」
「処罰に当たるが」
「先生のなら大歓迎。あ、それとも減点しちゃいます?」
 にっこりと笑っている。セブルスは再び頭を抱えた。
 何が厄介かというと、彼女が学年を上がる度に、それ相応の狡猾さを身に着けているという事だ。彼女はスリザリン生だ。セブルスは自分が受け持っている寮ではあるが、彼女とこうしてプライベートな時間を過ごす度に、「スリザリン生って……」と思うようになってきていた。
 彼女がセブルスの部屋に入り浸るのは、何も今回が初めてではない。しかしながら、セブルスは彼女を追い払う事ができないのだ。以前、「もし無理矢理追い出そうとするなら、今此処で大声で叫んで助けを求めてやる」とにっこりされた。他の生徒ならば一蹴できるが、相手はなわけで、やると言ったらとことんやる女だという事をセブルスは知っている。

 セブルスはふと思った。夕食の後にこうして部屋に居座られる事はあるが、消灯時間を過ぎても彼女がこの部屋に居るのは珍しい。しかも、今日は既に零時を過ぎている。
「……もう帰りたまえ。君達は明日、抜き打ちのテストがある筈だ」
「あっは、それ、言っちゃったら抜き打ちじゃないですよ」
 がクスクスと笑っている。そうして居れば普通の女子生徒に見えるのに、どうしてこんな(自分で言うのもなんだが、)うだつの上がらない教師なんかを好いているのだろう。
「だから『スリザリン贔屓』とか言われちゃうんですよ」
「黙りたまえ」そう言うと、は尚も笑った。

「んー、まあ、そうですね、そろそろ帰ります」
 そう言ったは、残りの紅茶を最後の一滴まで飲み干した。
 すぐに部屋を出ていくかと思えば、彼女は一度セブルスの座っている机までやってきた。
「……何かね?」
「いーえ、別に」
 『別に』という言い方ではない。
「そうですね、ただ、今日は良い日になりそうだなって思っただけです」は何でもなさそうに言った。「7日は私の誕生日なので。先生の顔を一番に見たかった、それだけですよ」
「……ほう、随分子供のような事を言うじゃないか」
 すぐ側までやってきた彼女の表情を見るのが億劫で、セブルスはそう言ってから、ゆっくりと紅茶を飲んだ。こんな季節だからか、が淹れた茶は既に生温くなっていた。
「だって、まだ子供ですもん」


 彼女が「その紅茶、実は惚れ薬が入ってるんですよ――って言ったらどうします?」と言った時は、思わず噴き出しそうになったが、長年鍛えてきたおかげで惨事には至らなかった。自分は子供だと言い切ったは、ほんの数秒の間、セブルスを見詰めたまま留まっていたが、やがて唐突に踵を返した。どうやら「一番に顔を見たかった」というのは、口から出た偽りではなかったらしい。
「――ミス・
「はい?」
 ドアノブに手を掛けていたは、何か忘れ物でもしただろうかと、きょとんとした顔で振り返った。
「誕生日、おめでとう」

 馬鹿な。もう三十も過ぎた良い大人が、どうして赤面しなきゃならないんだ。しかも成人してもいない生徒なんかに。実際は、セブルスの表情はあまり変わっていなかったし、羊皮紙に目を通したまま顔も向けずにそう言ったので、彼女の方からもセブルスがどんな気持ちで言ったかは解らなかっただろう。
「……ありがとうございます」
 セブルスがちらっと目を上げた時は、嬉しそうにはにかんだが、消え去るその瞬間だった。最後に杖腕に握られていた杖も消え失せ、やがて静かに扉が閉まる。長年、こうして消灯時間を過ぎた後にどうやって寮へ帰っているのかと(何せ、彼女が管理人のフィルチや、その他の教師に見つかった、という報告は一切受けていない)不思議に思っていたが、やっと謎が解けた。
 目眩まし術はNEWTレベルの呪文だろうに。セブルスは再び頭が痛くなるのを感じたが、やがて放っておかれていた羊皮紙へと視線を戻した。再びカップに口を付けた時には、紅茶は既に冷えきっていた。



 リクエストして下さった井中さんに限り、お持ち帰り可能です。スネイプ先生が振り回されっぱなしですが、最近ではそれも良いかもしれないと思っているようです。リクエストありがとうございました。少し早いですが、お誕生日おめでとうございます。  110314 玄田

   戻る