砂埃が消え、視界が晴れた。その場に立ち上がったのはだけだった。敵は死んでいる。しかし味方も死んでいる。 任務は巻物の奪取とそれを持っていた忍部隊の殲滅だった。 動くことを忘れていたかのように立ち尽くしていたが、使い物にならなくなった右腕を庇いながらゆっくりと歩き出したのは、もうもうと立ち込めていた砂塵がすっかり無くなってしまってからだった。巻物は、既に持っている。 先程から右腕の感覚がない。骨も何本か折れている。血の出し過ぎか目も霞んでいる。なんてザマだろう。しかし自嘲する気力すらない。ああ、足も思うようには動かない。ずるずる、ずるずると、はびっこを引きながら歩いた。 味方の霧忍を、一人一人確認する。 は医療忍者だった。戦闘ではろくに役に立たず、しかも今現在は印すら結べない。――しかし、医療忍者だった。 Sランクの任務は初めてだと言っていた男、死んでいる。寝ずの番は任せろと言った男、死んでいる。感知タイプの男、死んでいる。同期の男、死んでいる。は一人一人確認する。今度結婚するのだと言っていた女、死んでいる。三つのチャクラ性質を持つ男、死んでいる。身の丈ほどもある大刀を振りかざした男――微かだが、ほんの微かだが、その血塗れた胸が上下に動いた。 は急いでその男の傍らに跪いた。意識は無い。しかし弱いが脈はある。呼吸もある。 ――生きている。 その男――干柿鬼鮫の容体は芳しくなかった。脇腹の肉がごっそり削れている。左腕はあらぬ方向へと曲がっている。肋骨でも折れたのか呼吸も不規則だ。出血量も尋常ではなく、よくこれで生きているとは上手く回らぬ頭で考えた。男は虫の息だった。 は男の口に増血丸を押し込んだが、気を失っている今、効果は望めないだろう。 右腕は使い物にならない。印が結べない。この男を治すことはできない。 かろうじて生きている男、そして今まさに死のうとしている男を、は黙って見詰めていた。男が背負っていた大刀、鮫肌は、すぐ脇に放り出されている。独特の形状をした忍刀が、日差しを受け鈍い光を放っていた。拍動が、ますます弱くなっていく。はそっと手を伸ばした。 鬼鮫が目を覚ました時、真っ先に飛び込んできたのは目映すぎる日の光だった。任務で、戦闘になった筈だ。しかし辺りは静かで、何の物音もしない。しいて挙げるとするなら草原を走る風が下草を揺らすくらいか。気配もない。殺気もない。どうやら敵は居ないようだった。鬼鮫はそっと安堵する。 敵の忍は強かった。死に掛けたのは久しぶりだ。いや、鬼鮫は確かに死を覚悟した。 ぎこちなくではあるが自在に動く右腕で、己の腹を探る。そして、ギョッとした。抉られた筈の脇腹が修復している。触ると確かに痛みはするが、まるで数日前に負った怪我であるかのように治りかけている。 鬼鮫はゆっくりと上体を起こした。そして、自分のすぐ脇に女が倒れていることに気が付いた。うつ伏せだが、同じ部隊に居た医療忍者の女だと解る。この女が治してくれたのだろうか? 左腕は――添え木が当てられ、包帯が巻かれていた――確かにこの女が手当てしてくれたのだろう。しかし女の右腕の損傷が酷く、印が結べるようには見えない。鬼鮫は暫くの間思案していたが、やがて正しく理解した。手にした鮫肌から、この女のものと同じチャクラがうっすらと感じ取れたのだ。 鮫肌の性質を知っていたのだろう。この女は医療忍術で治す代わりに、鮫肌に自分のチャクラを与え、それが鬼鮫へ行くように仕向けたのだ。 医療忍者としての意地、だろうか。理解できない。 「自分が死んでちゃ、世話ないと思うんですがねェ」鬼鮫は思わずそう声を漏らしていた。 しかし命の恩人にしろ何にしろ、自分のすぐ横に死体が寝そべっているというのは気分が良いものではない。鬼鮫は剥き出しの鮫肌をそのまま背負うと、ふと考えた。さて、巻物は誰が持っているのだったか。自分ではないことだけは確かだ。手始めに女の持ち物を探ろうとして、やっと鬼鮫は気が付いた――女は生きていた。 鬼鮫は女の顔を覗き込んだ。瞼は閉じられている。しかし死んでいるにしては顔色が良い。 「生きてるんですか?」 問うと、女の口が僅かに動いたようだった。返事は聞こえなかったが、充分だ。 右腕しか使えないため、少々乱暴になってしまったかもしれないが、仰向けに起こしてやる。女はほんの少し目を開いた。焦点は定まっていないようで、ただぼんやりと宙を見詰めている。 鬼鮫は、女をこのまま捨てていくつもりだった。半日もすれば勝手に死ぬだろう。 ここでもしこの半分死に掛けた女を連れ帰ろうとするならば、相当頑張らなければならない筈だ。生憎と、そこまで体力は回復していない。それに敵の追手が来た場合、鬼鮫一人なら逃げ切れるかもしれないが、この女を連れてとなると二人ともやられてしまう可能性の方が高い。希少な血継限界を持っている忍だったなら無理もするだろうが、彼女はそうではない。 呼び掛けようとして、女の名前が解らないことに気が付いた。 「――アナタ、どうして私を助けたんです?」鬼鮫が言った。 「見たところ、アナタ一人で里に帰れた筈だ。私なぞ放っておけばよかったでしょう。それとももしかして、私を守る任務だったんですか?」 女が鬼鮫を見遣り、おもむろに言った。蚊の鳴くような声だったが、確かに鬼鮫に伝わった。 「貴方の背中が、とても、好きだと思ったので」 「巻物は――」女は掠れ声で尚も言う。「――私が、持っています」 「足の挫いた私よりも、干柿さんの方が、遂行の確率が高いと、思いましたので」 だから治したのだと。例え自身がチャクラ切れで動けなくなったとしても。他は皆死んでいる、自分も置いていってくれて構わない、そう言って女は弱々しく微笑を浮かべてみせた。 鬼鮫は口を噤んだまま、女を眺めていた。目の前に居る彼女が、急に得体の知れない何かのように思えて仕方がなかった。まるで自分とは全く違う生き物なのではないか。鬼鮫には女の思考は理解できなかったし、したいとも思わなかった。が、やがて――大仰に溜息を吐いてみせた。 「アナタ、名前は何ていうんです」 女にはきっと、鬼鮫の質問の意図が解らなかっただろう。当たり前だ。鬼鮫にだって解らなかったのだから。 暫しの間を置き、女は答えた。彼女の名は、。 「流石に、後味が悪すぎますね……まったく」 鬼鮫はを担ぎ上げた。もっとも怪我が完治しているわけではないので、軽々ととはいかないが。咄嗟のことだったからだろう、は対処しきれなかったようだ。彼女は鬼鮫の肩の上で、小さく痛みに呻いた。 長居は無用と鬼鮫は走り出した。を肩に担いだまま。 猛スピードで過ぎ去る地面を眺めながら、が言う。「意外です」 「何がですか」 「干柿さんは、任務遂行の為なら、傷付いた仲間を放っていくと、思ってたので」 「……化けて出られちゃ敵いませんからねェ」 背中から聞こえてくるの声は、不思議と先程よりもよく解る。同時に彼女が微かに笑っているのもはっきりと感じ取れて、鬼鮫は眉を顰めた。 |