ホグワーツ魔法魔術学校は、マグルのプライメリー・スクールなどとは比べものにならないくらい広かった。コリンはホグワーツに入学して二ヶ月近く経っても、城の中の地理をしっかりと把握できていなかった。多分、城の隅々を熟知しているのは、管理人のフィルチと、ウィーズリーの双子くらいのものではないだろうか。コリンが確実に解るのは、変身術の教室への行き方、大広間から温室への道、グリフィンドール寮の大体の位置、そういった普段使う場所ぐらいだった。
 ――だから、『ハッフルパフ寮の近くへ行けば解る』だとか、『三階のタペストリー裏の抜け道は気を付けろ、崩れやすくなってるから』だとか言われても、一体それらが何処の事なのかさっぱり解らなかった。フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリーは、宴会の最中に尋ねたコリンに、(彼らにしては)親切に厨房を経由して医務室へと行く為の最短の道順を教えてくれた。しかしコリンにとって、彼らの言葉は摩訶不思議な暗号にしか感じられなかった。

 コリンはハリーのお見舞いに行こうと思っていた。
 可哀想に、骨が無くなってしまったハリー。マダム・ポンフリーならすぐに治せると寮生の皆が言っていたものの、コリンはハリーが心配だった。あんなにも顔を歪めて、痛くない訳がない。ハリーは気丈にもひらひらと手を振って見せて、なんと勇敢なのだろうとコリンは感動していた。
 実際には、ハリーが顔を歪めたのは痛みに耐えているからというよりは、骨が無くなりぐにゃぐにゃの腕をした自分を、コリンにパシャパシャと撮られたくないからだった。ひらひらと手を振ってみせたのは、コリンに何処かへ行って欲しかったからに過ぎない。しかしながら、コリンはそう解釈していた。コリンにとって、ハリーは格好良いヒーローだったし、そうあって欲しかった。
 あんなに勇敢なハリーだけど、医務室に一人で入院するのは辛い事の筈だ。コリンも以前、病院に入院した事があった為、その寂しさはよく解った。もちろん彼の周りには素敵な友達がたくさん居る。しかし、それでも見舞いというものは多ければ多いほど良い。


 厨房に寄って、何かお見舞いになるものを貰っていこう――コリンはそう思っていた。そう思っていたのに、コリンはいつしか道に迷っていた。
 途中までは、確かにウィーズリーの双子に教えられた通りの道を進んでいた。土曜の午後には左から右下へと動く階段に飛び乗り、三階のタペストリー裏の抜け道を慎重に潜り抜け、それから壁のふりをしている扉を通り……と、普段は通りもしない道だ。しかし、ふと気付けば迷子になっていた。いつまで経っても厨房らしきものには辿り着かなかったし、いま自分が何階に居るのかすら解らず、気付けば静物画だらけの狭い廊下に辿り着いていた。
 コリンは、これは困ったぞと思った。
 全く見覚えがない廊下だったし、壁に掛けられているのは静物画ばかりで道を尋ねる事ができなかった。ユニークなゴースト達は、こういう時に限って壁からスルリと現れてくれたりはしない。何度か階段を降りたから、おそらくもう一階か、もしくは地下には辿り着いているとは思うのだが、縦に横にと気紛れに動く階段のおかげで正確な階は解らない。グリフィンドール塔のある城の東側から、どれだけ離れたかもよく解らなかった。
 実は、この食べ物の静物画ばかりが多く掛かっている狭い廊下は、厨房のすぐ外の廊下だった。コリンは確かに厨房に辿り着いていたのだ。コリンの来訪を知った屋敷しもべ妖精達は、コリンが来るのを今か今かと待っていたし、掛かっている絵の内の一つは、ちゃんとした厨房への入り口だった。ついでに、もう少し行った先にはハッフルパフ寮への入り口の静物画もある。
 しかしながら――コリンは、ホグワーツの厨房が一体どういうものかを知らなかった。絵を抜けた先にあって、しかも料理人が全て屋敷しもべ妖精だという事を知らなかったのだ。――むしろ、コリンは屋敷しもべ妖精のやの字も知らなかった。入り方なんて尚更知らない。間違いが起きたのは、コリンがその事を知らなかった事を、フレッドとジョージが知らなかった事だ。厨房への道順を聞いたコリンに、二人はちゃんと道順を教えた。コリン自身は厨房に近付いたら解るだろうと考えていたし、彼らは彼らで、まさかコリンが厨房を知らないだなんて思わなかったのだ。

 今まで歩いてきた経路を思い返す内、コリンの歩くスピードは段々と落ちていた。コリンは既に、どこまで引き返せば自分の知っている道に出るだろうかと考え始めていた。頭の中に地図を思い浮かべるものの、普段使わない道ばかりを通ったせいで、あまり上手くいかなかった。
 引き返すべきだろうか? いや、でも、どこまで?
 コリンは歩き回って考えた。そして不意に軽い衝撃を喰らって、後ろへ倒れ込んだ。首から掛けていたカメラが吹っ飛んでいなかったことを確認してからコリンは立ち上がり、恐る恐る、ぶつかった相手を見上げた。
 緑色の目と目が合うのに、少しだけ間を要した。何故なら、コリンは身長が小さい方だったから。年齢はそう変わらないように見えた。ただ見事な白髪(これこそ、魔法だ!)で、その男子生徒の外見を、見た目より年上に見せていた。コリンはその生徒が、自分より一つか二つ、多くて三つ年上だろうと見当を付けた。少なくとも、一年生の中でこんな髪の人を見た覚えがない。
 ひどい顰めっ面だった。ネクタイの色を確認すると、彼はハッフルパフだ。
「あの、ごめんなさい。前をよく見ていませんでした」
 相手は何も言わなかった。ただ少しだけ、眉毛をぴくりと動かした。
「ごめんなさい」コリンはもう一度謝った。ハッフルパフの男子生徒は何も言わなかったが、小さく動いた口が、いや、と言ったようにコリンは感じた。
 なんだ、この人、見た目ほど取っ付きにくくないや。コリンはそう思った。
「僕、迷子になっちゃったんです。もしよければ、厨房まで案内してくれませんか?」
 コリンがそう言うと、男子生徒の顰めっ面が一瞬だけ、驚いたような表情になった。
「厨房?」男子生徒が聞き返した。小さな声だった。
「はい!」コリンが言った。「僕、コリン・クリービーといいます。一年生で、厨房のある場所なんて全然知らないんです。教えてもらったんですけど、途中で迷っちゃって。ハリーのお見舞いに、果物とか、何か元気になるものを持って行きたくて――ハリー・ポッターのお見舞いに行きたいんです」
 どうやら彼は、コリンがとても困っている事を察したらしい。その気が変わらない内に、とコリンは一息に喋った。すぐに言わないと、恐いと思うのは間違いじゃないかと思った気持ちが、一瞬で飛んでいってしまいそうだった。その男子生徒が「……ハリー?」と呟いたので、あのハリー・ポッターの事だ、とコリンは念を押した。

 コリンは、多分彼もハリーを知っているのだろうと思った。「付いてこい」
 ハッフルパフ生が何と言ったのか、いまいち自信がなかった。何故なら、囁き声といっても過言ではないくらい、男子生徒の声は小さかったのだ。しかし彼が何の身振りもなく、そのまま踵を返して歩き出したので、付いてこい、とそう言ったのだと解釈した。
 見た目通りと言うべきかどうか、コリンは彼について行こうとする為に、すごく早足にならなければならなかった。ハッフルパフ生は歩くスピードを緩めてくれたりはしなかった。
 彼が急に左に曲がって階段を上り始めたので、コリンはおや?と思いつつ、急いで彼の後を追った。どうやら、地下に降り過ぎていたみたいだ。コリンはそう解釈した。
 見覚えが有るような無いような、そんな廊下に差し掛かった時、すぐ後ろから声がした。一体どこから現れたんだろう、そう思ってしまうくらいに唐突だ。コリンに声を掛けたのは、同じグリフィンドールの生徒だった。仲が良いというわけではないが、何度か話をしたことはある。彼は何故か腕一杯にかぼちゃパイやら、バタービールの大瓶やらを抱えていた。
「コリン?」リーが言った。こんな所で何やってるんだ?」
 コリンは答えようと口を開き掛けた。しかしリーに話し掛ける前に、ぐいっと首根っこを掴まれて、彼の前に差し出された。文字通り、コリンは一瞬宙に浮いていた。
 リーは目を白黒させた「あー……? 君は確か――」

 ハッフルパフの男子生徒がぶっきらぼうにそう答えた。コリンはここで、初めて彼の名前を知った。名前を聞くのをすっかり忘れていた。彼の方を振り返ろうと思ったものの、ぐいと前に押されたので、それは叶わなかった。
 コリンをリーに引き渡すと、は踵を返しそのまま歩いて行ってしまった。
「どうしたんだ、コリン? なんで黙り屋と一緒だったんだ?」リーが不思議そうに言った。「迷ったのかい?」
「うん。僕、厨房に行きたかったんだ」
「……厨房?」
 リー・ジョーダンの聞き返し方は、のそれと全く同じだった。
「僕、フレッドとジョージに道を教えて貰ったんですけど、迷っちゃって」
 コリンがそう言うと、リーは納得したように頷いたが、こう言った。
「迷ったって、一体どの辺で迷ったんだ? 俺、さっきまで厨房に居たんだぜ?」
「……え?」
 コリンがぽかんとして聞き返すと、リーは首を捻った。
「まあ良いや。一旦寮に戻ろうぜ。そこの抜け道を通れば、グリフィンドールまですぐだからな」
 リーがそう言って歩き始めた為、コリンは慌てて彼の後を追い掛けた。どうやら双子のウィーズリーと同じくらい、リーも抜け道について詳しいらしい。彼が思いの外たくさんの食べ物を持っていたので、コリンも運ぶのを手伝った。談話室に戻り、勝利の宴会が終盤になる頃、やっと自分がに寮の方へと帰されたのだと解った。もちろん、リーは厨房から帰る道すがら、抜け道を通って来ていた筈だ。は普通の道を進んでいたので、擦れ違わなかったのだ。後からリーに聞いたところ、厨房が有る場所は、やはりコリンが辿り着いたあの狭い廊下で正しかった。食べ物の静物画ばかりが並んでいる、あの廊下だ。ついでに、リーに厨房の入り方も教えてもらった。
 もしかしたら、がコリンを厨房へ行かさず、グリフィンドール寮の方へと向かったのは、一人で居るのは危険だからという意味だったのかもしれない。コリンはそう解釈した。コリンは他人の厚意を疑わなかった。次は誰にもバレないようにしよう――そう考えて、コリンは再び厨房へと向かった。