ザカリアスはの事が嫌いだった。去年のクリスマス、彼が自分に恥をかかせた事をザカリアスはちゃんと覚えているし、最近になって急にモテ始めた事も気に入らない――無論、それだけで嫌っているわけではない。嫌っていると言うよりはむしろ、苦手だと言う方が近いのかもしれない。彼は昔から取っ付きにくい奴だった。
 ついこの間、がレイブンクローの七年生に呼び出された事を、ザカリアスは偶然にも知っていた。彼のそばで直接見ていたのだ。明るい茶色の髪をした、痩せぎすの女の子だった。もっとも、会話を全て聞いていたわけではない。彼女の顔が赤く染まっていたので、きっと彼は告白を受けたか、それに似た何かしらがあったに違いなかった(その後帰ってきた自身は、いつもと変わらぬ澄ました顔をしていたので、何があったのかは解らなかった。しかしながら、その七年生が誰かに振られたという噂はハッフルパフにも流れてきた。ザカリアスはそれを、の仕業だと思った)。もちろん、ザカリアスはますます彼が嫌いになった。
 ただ、そのがこんな真夜中に一人で談話室に居て、驚愕した顔をして此方を見ているのには驚いた。彼は大抵、驚いたとしても顔に出ないし、そもそもあまり感情の起伏がない。少なくともザカリアスにはそう見えるし、あながち間違ってもいない筈だ。
 それが今はどうだ。ザカリアスが声を掛けた途端、はびくりと肩を震わせた。それだけでなく、今もまだそわそわしている。確かに普段あまり話したりしない相手ではあるが、それなりの付き合いはしてきた筈だ。同じ年だし、同じ寮だし、同じ部屋だし。ザカリアスとは五年間寝食を共にしてきた。これほど拒否される覚えは無い。
「何でそんなにびびってるんだ」
「……いや」
 言葉を濁すに、ザカリアスは若干いらついた。
 ザカリアスは今日の放課後、ずっとクィディッチの練習をしていた。それが終わりがけ、不注意にもビーターの内の一人と正面衝突し、今の今までずっと眠り続けていて、やっと寮に帰って来る事ができたところだった。それに加えて溜まりに溜まった課題をしなくてはならないし――考えるだけで気が滅入る。

 思わず当たり散らしそうになるのを戒めてから、ザカリアスは素直に自分を褒めた。以前、スーザンに、誰彼構わず嫌味を言うのを止めろと言われたのだ。そして――ザカリアスはに違和感を感じた。
 ザカリアスは、自分は、自分で思っているほど周りから好かれてはいないのではないだろうかと考えた事があった。しかしながら、出会い頭にそっぽを向かれるほどに嫌われている、なんて事は無い筈だった。
 ましてやそれがなら尚更だ。彼がそんな事をするような奴ではない事は、面白くない事にザカリアス自身よく知っている。五年間一緒の寮、一緒の部屋で生活して、解らない筈がなかった。良い意味でも悪い意味でも、はハッフルパフらしい生徒だった。ザカリアスは、ハッフルパフの直系の子孫である自分より、彼の方がよりハッフルパフを担うのに相応しい人間なのではないか、そう思ったこともあった。

 OWLの為の勉強を一人でしているのかと思ったが、そうではないようだった。机には何の勉強道具も広げられていない。誰かが忘れていったのだろう、日刊預言者新聞がぽつりと置かれているだけだ。暖炉際のソファーに一人腰掛けている。こいつは一体、何をやっているのだろう。少しだけ興味が湧いた。ボウトラックルのスケッチのことは、ザカリアスの頭から既に消えていた。
 踊り狂う炎に照らされて、マントルピースを飾るアナグマの影がちらちらと揺らめいている。
 挙動不審――そう、今のこいつに一番しっくり来るのはこの言葉だ――なの向かい側に、ザカリアスはどっかりと腰を下ろした。彼は再びびくりと肩を揺らした。しかしそんな彼に気付かない振りをして、ザカリアスは口を開く。
「今まで医務室だったんだ。ビーターの馬鹿のせいで」
「……ああ」はこっくりと頷いた。
 普通は此処で、「災難だったな」とか「怪我はもう大丈夫なのか」とか、そういった言葉を大抵は投げ掛けるだろう。しかしの場合、今の『こっくり』にそれらの事がほぼ込められている。だから面倒くさい。四年間と数ヶ月付き合ってきた今では解る事なのだが、彼を知らない内は、何て冷たい奴なのだろうと思っていた。この愛想の欠片もない男が何故、寮や年の境を超えてモテるのか、理解に苦しむ。
 悪い奴ではない事は解っているのだ。口数が極端に少な過ぎるだけで、悪い奴ではない。
「おまえは何やってるんだ? こんな時間に」
 まだ満月じゃないだろ、と付け加えようかと思ったが、ザカリアスは結局言わなかった。彼に皮肉を言ったところで、が一人きりで談話室に居る理由が解るわけではないからだ。
 人狼であるの睡眠時間は、満月が近付くと段々と減っていく。聞いた話によると、どうも脱狼薬の副作用の一種らしい。満月までの数日間、彼はカーテンを閉めたベッドの中で、魘されながら寝込んでいる。もっとも、それはここ数年のことだ。が狼人間だと打ち明ける以前は、満月の前後は部屋に居なかった。どうやら彼の実家――つまりハグリッドの小屋に居たのだとか。詳しくは知らない。

「……眠れなかっただけだ」
 が、一言そう言った(彼の父親譲りの訛りは、最初は上手く聞き取れなかった)。しかしその目はザカリアスの方を向いていない。何を嘘を付く必要があるのだろうと思いながら、ザカリアスは「そうかよ」とだけ返したのだった。


 それからは簡単だった。
 話している時も話していない時も、が右手を擦っている事に気付いていた。ザカリアスは無論、その訳を問い詰めた。隠された右手に何があるのかと。最初の内は、彼も「何でもねえ」と言って、話を打ち切ろうとしていた。しかしながら、何度もザカリアスが詰問している内についに諦め、ひどく緩慢な動作で右手を前に差し出した。
 の右手を見て、ザカリアスは内心で舌打ちをした。ザカリアスのものより余程男らしく、尚且つ大きなその手に対して嫉妬したのだ。しかしそれ以上に不愉快なのは、彼の手の甲に浮き出ている醜い文字の羅列だった。
 ザカリアスがじろりと睨み付けながら問い詰めると、彼は決まり悪そうに顔を歪めたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。罰則を受けた事、そしてそれが書き取り罰だった事。ただの書き取り罰で何故こんな事になるのかと問えば、特殊な羽ペンを使わされたのだとは言った。

 彼が罰則を受けた事は、ザカリアスも知っていた。選択授業ではなく、闇の魔術に対する防衛術の授業の時だったからだ。もちろんザカリアスも同じ教室に居た。彼が罰則を言い渡された時、寝惚け眼ながらざまあみろと思った。同時に、は何をやらかしただろうかとも思った事を覚えている。
 連日のクィディッチの練習のおかげでいつも寝不足なザカリアスにとって、淡々と教科書を読むだけの防衛術は、うとうとするのに丁度良い時間だった(自分がそれなりに旧家の生まれだからか、あの教師は多少ザカリアスが居眠りしていても何も言ってこない)。ぼーっとしてはいたのだが、彼の何が罰則へと繋がったのかは、全く解らなかった。まあ、例のガマガエル女の機嫌を何かしら損ねたのだろうと、軽く考えていた。
 そして――思えば今週の月曜日も、罰則を言い渡されていた。教師にこっくりと頷いた、その時のの無表情がやけに脳裏に張り付いている。

 更に問い詰めると、が三週間、こうして罰則を受け続けていた事が明らかになった。その罰則は一回一回の時間が長く、終わるのは深夜を軽く超えている時間帯なのだそうだ。ザカリアスはちらりと時計に目をやり、彼が実は、罰則から帰ってきたばかりなのだと知った。


 内心で何度も舌打ちしながら、ザカリアスはようやくお目当ての物を見付けた。救急箱だ。クィディッチの選手に選ばれた頃から世話になっている代物だが、最近では滅多に使うこともなくなっていた。いつの間にかトランクの奥底に沈み込んでいたようで、引っ張り出すのに苦労した。箱の中は各種消毒液から絆創膏、包帯まで、何でも揃っている。しかしながら軽い打ち身に効く薬は切らしていた。まあ、構わないだろう。
 あれはどう見ても切り傷なのだから。内出血はしているかもしれないが。

 ザカリアスの「ちょっと待ってろ」という言葉に、は無言で頷いた。そんな彼を談話室に残し、ザカリアスは救急箱を取りに自室に戻った。暢気に鼾をかいているアーニーに一瞥を投げ捨て、談話室に戻る。
 ジャスティンや、同室の他の連中も皆寝入っているところを見るに、は右手の甲に関する罰則の事を誰にも言っていないらしかった。あの不細工な羅列の事をだ。もし誰かに話していたとすれば、きっとジャスティンを始め、誰かしらが彼を待っていただろう。

 アーニー達が皆寝こけている事にも、アンブリッジにも、の傷が思いの外深い事にも、そしてこの事をザカリアスしか知らない事にも、ザカリアスは苛ついた。思わず舌打ちすると、はびくりと震えた。もしかしたら押しつけた綿糸が強すぎた事が原因かもしれないし、消毒液が物凄く沁みたのかもしれない。
 少しだけ、いい気味だと思った。
 包帯を必要以上にきつく巻いてやりながら、どうやったら他の誰にも気付かれずに、尚且つ(頑固と言うべきか意地っ張りと言うべきなのか解らないが)この阿呆な友人を医務室に連れ込めるだろうかと、ザカリアスは考えを巡らした。