スリザリン生には性根の腐った奴しかいない――というのが、わたくし、ニンファドーラ・トンクスの持論なのでありました。

 トンクスはその日、フィルチに対して廊下で糞爆弾をぶちまける等といった喧嘩上等な行為をしたというわけでなく、呪文学のフリットウィック先生に「どうしてあなたはそんなにチビなんですか」と至極無礼な質問をしたわけでもなく、マダム・ピンスの目が光っている図書室でバーティー・ボッツの百味ビーンズを開封するという非規則的な行動を取ったわけではなかった。
 たまたま同学年のスリザリンの女子生徒と言い争っているところに、再びのスリザリン生マーカス・フリントが混ざり(こいつ、私より二つ年下なのに、私より頭二つ分デカい!)、そして周りの皆が囃し立てる中で今度は再び同学年のグリフィンドール生、チャーリー・ウィーズリーが混ざり、大喧嘩ならぬ大決闘に発展しそうになった。そしてたまたま他ならぬ陰険魔法薬学教師のセブルス・スネイプがやってきた、ただそれだけだった。しかし、たったそれだけで事態は最悪になってしまったのだった。
 ――あいつら、今度あったら倍返しにしてやる!
 確かに、スネイプがやってきたことで、スリザリン生が良い方向に傾くかもしれないとは思った。しかしどう見ても被害を受けているのはトンクスとチャーリー・ウィーズリーで――トンクスの鞄は真っ二つに裂けていたし、チャーリー・ウィーズリーの頬には大きな切り傷が出来ていたのだ――もしかすると罰則までは行かなくても、スネイプは自寮のスリザリンを何点か減点しなくてはならないのではないか、と、トンクスはほんの僅かに期待した。もっとも、そんな都合の良い結果には終わらなかった。
 肝心のスリザリン連中はとっくにずらかっていたし、スネイプ(あのこんこんちき!)は血気盛んなウィーズリーと、全くもって落ち着きのないニンファドーラ嬢が、決闘の模範演技を見せびらかす為に教室の半分を破壊して見せ、ここまで被害を増大させたのだと言い張った。更にグリフィンドールとハッフルパフは共に三十点減点され、スネイプは二人に罰則まで与えたのだった。
 もちろん、トンクスの機嫌の悪さ最高潮に達した。


 確か、チャーリー・ウィーズリーは書取りの罰則を申し付けられたのではなかったか。
 管理人のアーガス・フィルチと共に禁じられた森へ向かいながら、チャーリーにどんな罰則が与えられたのだったかとトンクスは考えた。多分、ごく普通の書き取り罰だったと思う。それに引き替え、自分はハグリッドと一緒に森の探索だ(無論、探索と言っては語弊がある。なぜならばホグワーツで禁じられた場所に生徒を行かせることなどないし、禁じられた森は禁じられた場所なのであり、トンクスはホグワーツの生徒なのだ。何より罰則で「探索」なんてあるわけもない)。どうしてそういう割り振りになったかは知らないが、この点に関してだけは、ドラゴンの糞の山ほどにはスネイプに感謝していた。
 チャーリー・ウィーズリーは自分が禁じられた森の方じゃないのを悔やむだろうな、そう考えると愉快になった。それにもしスリザリン生が罰則について何か言ってきたら、自分は禁じられた森で純白に輝くユニコーンの世話をしてやったのだと言ってやる事が出来るだろう。そう考えれば、逆に罰則が楽しみにもなった。日曜という最高の休日の午後を返上しなければならないというのは気に食わないが、それを除けば――森の探索とは、なんて素晴らしいのだろう。ハッフルパフが五十点減点されようと構うものか。実際に三十点減点されたわけだが、トンクスは都合の悪い記憶には目を瞑ることにした。

 ――おかしいな。
 トンクスは、段々と見えてきたハグリッドの小屋に、ハグリッド自身を見つける事が出来なかった。ハグリッドを見つける事が出来ないというのは、相当な事だ。大柄な彼を見失うことは難しい。人の良いハグリッドのことだから、罰則を手土産にした哀れな女子生徒を小屋の手前で待っていてくれそうなものなのに。
「此処でいいな」と、ハグリッドの小屋まであと三十メートルといったところで、フィルチは低く呟いた。あまりハグリッドの小屋に近付きたくないようだった。彼は最後にトンクスを脅す事を忘れずに(「可哀想にねぇ、あの森には狼人間が棲んでいるんだよ。骨ぐらいなら拾ってやるから、せいぜい噛み砕かれないようにするんだね」)去っていった。仕方なく、トンクスは一人でハグリッドの小屋に向かった。

 ハグリッドの小屋の周りは、彼の大雑把な性格からは想像し難いほど、こざっぱりとした空間が保たれていた。彼の自慢の巨大カボチャがある畑の周りは下草の一本も生えていなかったし、小屋に立て掛けてある鍬や鋤といった農具は全て綺麗に揃えて並べられている。整備がきちんとされているのか、陽光を受けてきらきらと輝いていた。それに、トンクスはごく普通に歩いていた。小石に躓いたりせずに。どうやらハグリッドはこういった面では随分几帳面らしい。
 ふと、目を向けた先――ハグリッドの小屋の前だ――に、ようやく人影を見つける事ができた。しかし、やけに小さい。ハグリッドに及ばないどころか、下手をするとトンクスよりも小さかった。
 辿り着いたハグリッドの小屋の前に居たのは、ハグリッドではなかった。
「あんた、ニンファドーラ・トンクスか?」
 トンクスにそう尋ねたのは、小さな男の子だった。体も小さければ、年齢だって低そうだ。多分、まだホグワーツに入学してすらいないんじゃないだろうか。最初に目に付いたのがその男の子の白髪頭だったので、トンクスは最初、妖精だかなんだかの類なんだろうかと思ってしまった。
「そうだけど、あんた誰」トンクスが聞いた。
」男の子はぶすっとした調子で答えた。
「え?」トンクスは問い返した「ハグリッドの子どもの?」
 トンクスの言葉に、だと名乗った男の子は応えなかった。
 森番のハグリッドには小さな息子がいる、という事を、トンクスは周りから聞いて知っていた。しかし実際に会うのは初めてだったかもしれなかった。そういえば、野良仕事をしているハグリッドの周りに、ちょこちょこと子供が付き纏っていたかもしれない。あれがこの子かも。
「ねえ、ハグリッドは?」
 トンクスが聞くと、はじろっと此方を見ながら顔を上げ、暫くの間を空けてから、それまでと同じく小さな声で答えた。彼が意図して小さな声を出しているのか、元から小さな声の持ち主なのか、判断が付け辛かった。
「ルビウスは来ねえ」
「……え? でもわたし、ハグリッドと一緒に森に行かなきゃならないのに」
 男の子は再び間を空けて、ずっと抱えていた石弓を弄りながら、答えた。
「俺がルビウスの代わりに森に行くんだ。あんたと一緒に」


 トンクスが「えーっ!」と驚きの声を上げた時には、既には立ち上がっていて、子どもとは思えない程の顰めっ面をしてみせていたので、トンクスは何も言わずにに従って歩くしかなかった。

 トンクスは今までに三度だけ禁じられた森に入ったことがある。そのどれもが授業の一環で、終わるたびにもっと長く居たいと思っていた。しかし改めて森に入ってみれば――しかも罰則で――やはり此処は遠慮したい場所かもしれないと思い直した。長くぼうぼうに伸びた下草を踏みつけて歩く際、どうしても刃物と化した葉の先で足を切り付けられてしまうし、あちらこちらに伸びた枝はトンクスのローブを遠慮無く引っかけた。もう金輪際、この森には近寄りたくない。
 だいぶ森の奥に来たかもしれない。確証はなかったが、トンクスはそう思った。頭上から降り注ぐ筈の日光はとても微々たるものになっていたからだ。もちろん、立ち並ぶ巨木のおかげだった。しかし、日が傾いてきているからかもしれない。
 ずんずんとは森を闊歩している。自分よりも大分年下の――やはり彼はホグワーツに入学しているわけではなかったらしい。つまり、十一歳にもなっていない筈だ――の小さな背中を見ながら、トンクスは一体何故こんな事になっているのだろうと、この世の不条理に溜息をつきたくなった。どうして自分より一回りも年下の男の子の後ろを歩かなければならないのか。
 ――杖だって持っていないのに。
 が言葉少なにトンクスに言ったことを繋ぎ合わせると、どうやらハグリッドは、先日の六年生の魔法生物飼育学で大怪我を負った、ヒッポグリフの一頭をつきっきりで看病している為に来ることができないそうだ。が、誰がヒッポグリフに大怪我を負わせたのか知っているのかどうかはわからなかったが、六年の魔法生物飼育学で、と話したときにトンクスの方をちらりと目で窺ったので、トンクスはどきりとした。おそらく先日の六年生の魔法生物飼育学というのはハッフルパフとレイブンクローの合同授業の事だろう。そしてヒッポグリフに怪我を負わせた生徒というのは、トンクス本人だった。

 トンクスはヒッポグリフ云々に対しての後ろめたさを隠すように黙って歩いていたが、三度目に大きな根っこに躓いて五度目になる転倒を危うい所で防いだ後、ついに口を開いた。
「ねえ、わたし達、何やんの?」
 前を歩くトンクスよりも身の軽いはすいすいと枝をくぐり抜け、太い根を軽々と飛び越えていたが、トンクスが質問すると一度だけちらりと振り返り、そして何やらぼそりと呟いた。その何事かを言った後、すぐには前に向き直ってしまった。
「何? 聞こえない」トンクスが言った
 は先程より若干大きな声で答えた。が、変声期などとは程遠い子供の声は、随分と聞こえ辛かった。それに様々な生物が生息している禁じられた森は、あちらこちらから物音が聞こえてくる。の小さな声など、すぐに飲み込まれてしまうのだ。トンクスがもう一度催促すると、は遂に、トンクスにも聞き取れるような音量で言った。


「……怪我したヒッポグリフに喰わせる為の、イタチを捕りに行くんだよ」
 大冒険を想像していたトンクスは、再び「えーっ!」と叫んだ。
 禁じられた森に響いた自分の叫び声と、それによりバサバサと飛び立った鳥の羽音と、迷惑そうに顔を歪めたの表情は、今でも忘れられない。