ハリー・ポッターはこちらの道に歩いてきた事を後悔した。珍しくも例の「セドリックバッジ」を付けていない生徒に出会えた――と、そう思ったら、その生徒がハリーの苦手とする生徒の一人だったからだ。


 は、ホグワーツの中でハリーが苦手としている生徒の一人だった。五本の指に入るほどに、だ。別に彼はマルフォイのように高慢ちきではないし、スネイプのように醜悪でもない。ただ、どうしても苦手な相手というのは存在する。ハリーの場合、それがだった。
 引き返そうかどうしようかと悶々と考えていると、と目が合った。
 始終不快そうに歪められているその眼も、ハリーが彼を苦手とする要素の一つだ。
 同じ年の筈なのに妙に大人びていて、周りを見下しているわけでもないのにどこか自分達とは違う――そう思わせる空気を纏っているのが、なのだった。

 ハリーは二年前の事を忘れてはいなかった。ジャスティン・フィンチ−フレッチリーがバジリスクによって石に変えられた時、彼は一体どんな風に自分を見た? ハリーはあの時の、いつにもまして温度の下がったの目を、どうしても忘れる事が出来なかった。彼はジャスティンが元に戻りハリーに謝ってくるまで、ずっとその目でハリーを睨んでいた。ハーマイオニーが石になり、周りのハッフルパフの生徒達がハリーに謝っても、だけはずっとハリーを睨み続けていたのだ。
 ハリーは彼がどうしてああも執拗に、自分を見ていたのかを理解していた。彼は自分を継承者だと思って睨んでいるのではない、ジャスティンを傷付けた事に対して睨んでいるのだと。だからこそ彼のことは苦手だったのだ。
 例の事件で、ハリーは自分が悪いとは思っていない。スリザリンの継承者はもちろんハリーではないし、蛇語が解ってしまうことだってハリーのせいじゃない。勝手にハリーを恐れているだけなら、ハリーだって無視することができた。ただ、ハリーの行動が、謀らずともジャスティンを怖がらせてしまったことは確かだった。今でこそ彼とは良い関係を築いているが、ハリーはジャスティンに対してだけは、申し訳なく思っていた。


 彼の視線が、じっとりと絡み付いて来るようだった。多分、自意識過剰になっているんだろう。別にが何かをしたわけじゃない。しかしハリーは、彼の視線から逃げ出すように踵を返した。
「おい」
 声変わり途中の声が、ハリーを呼び止めた。
 そしてその時、ハリーは視界の右端から強烈な一撃が振り下ろされていることが解った。が声を掛けなかったら、「暴れ柳」に頭蓋骨を叩き割られていたかもしれない。
 暴れ柳の二撃目が来る――そう感じた瞬間、ハリーは右手をに掴まれて全速力で走り出していた。がぐいぐいと引っ張って、ハリーを暴れ柳から遠ざけている。
「ステューピファイ!」
 が振り返り、左の肩越しから暴れ柳に向かってそう叫んだ。ハリーは、知らなかった。彼がこんな風に大声を出すことを。ハリーが知っているはいつも仏頂面で黙り込んでいた。  長く太い杖から放たれた赤い光線は上手い具合に暴れ柳へと命中したらしく、巨木はぴたりと動きを止めた。にもそれは解っていただろうが、彼は暴れ柳の攻撃射程範囲内から出るまでハリーを引っ張り続けた。


 腕がぱっと解放され、その反動によってよろよろと尻餅をついた時には、既には杖を持って何事かをぶつぶつと呟いていた。彼の杖が振り下ろされ、その一瞬の間の後、ざわざわと暴れ柳が動き出したのをハリーは見た。
 肩で息をしているは黙って暴れ柳を見詰めていたが、おもむろに振り返り、やはり無言でじっとハリーを眺め回した。ハリーは急に、が自分の怪我の心配をしているのではないか、という考えが浮かび上がった。顰められた顔と無遠慮ともいえる視線は、ハリーを心配してくれるハグリッドによく似ている気がした。
「僕――……ありがとう」
 ハリーが立ち上がり、途切れ途切れにお礼を言うと、は目を一瞬細めて、ハリーをじっと見た。「寡黙」という言葉が似合うは、やがて「別に」と短く答えた。小さな声だった。

「あんた、あんな所で一体何しちょったんだ?」
 不意にが口を開いた。小さな声ではあったが、聞き取れない程ではない。ぶっきらぼうな物言いが、彼の父親にそっくりだった。
「散歩、してたんだ。暴れ柳があるって気付かなかった」
 ハリーには、が自分の返事に納得したのかどうか、解らなかった。何故かというと、彼が何のアクションも示さなかったからだ。頷くこともなければ、答えることもない。はただ、ハリーをじっと見つめているだけだ。
 やがて、「そうかね」と、彼は端的に言った。その何の興味も示していないような声音を聞いても、彼がハリーの言った事を信じたのかどうか、やはり判断は付かなかった。


 ハリーがローブをはたくのを黙って見ていたは、やがて小さく杖を振るった。一瞬で、ハリーが纏う汚れたローブが、元の綺麗な状態へと戻る。ハリーが再度礼を言うと、はやはり短く「別に」と言い放った。そっけない言葉だが、その言葉には突き放すような冷たさはない。少なくとも、ハリーにはそう感じられた。
「礼を言われるような事はしちゃいねえ。さっきも今も」
「でも感謝した時には礼を言う。そうだろう?」
 はむっつりと黙り込んだ。

 ハリーは唐突に、胸の奥底からへの親しみが湧いて来るのを感じた。彼のぶっきらぼうな口調や大雑把な動作、言葉に詰まった時のむっつりとした表情などが、ハグリッドによく似ていたからかもしれない。
 実のところ、ハリーがこれまでにと話した事は皆無に等しかった。彼は同じハッフルパフ生の中に居ても無口だった。友達が居ないわけではないようだが。ハリーが知っているのは、せいぜい薬草学の時にスプラウト教授に指名されて答えるくらい時だろうか。友達と居る時でさえ彼は口を噤んだままなのだから、ましてやグリフィンドール生であるハリーが彼と話す機会がなかったことは、当然と言えば当然だった。
 しかし――彼がここまで、それこそ一度話しただけでハリーに親しみを湧かせるぐらい、ハグリッドと似ている人間なのだとは思ってもみなかった。ハグリッドはいつも快活で笑っている。は、いつでも顰めっ面をしている。義理の親子だから顔が似ていないのは当然だが、ハリーは彼らが、実はとてもよく似た親子なのではないかと思った。


 ハリーには、今までと関わろうとしなかった事が、唐突に馬鹿馬鹿しく感じられた。彼はハグリッドの息子じゃないか。もっとも、ハリーがを苦手だった理由の一つに、それが当て嵌まりはするのだが、それを認めてしまうのは恥ずかしい。
 決して嫌いなわけではなかった。苦手なのだ。その言葉に嘘はない。しかしそれ以上に、ハリーは彼が羨ましかったのだ。ハグリッドに引き取られた彼が。
「――君、セドリックの応援バッジを付けてないんだね」
「バッジ?」
「セドリック・ディゴリーを応援しようのやつだよ。マルフォイ達が造ったやつ」
 知らないのかと問い掛けると、は「ああ」、と声を漏らした。
「ディゴリーを応援するのは当然だ。同じ寮だし、あんな小細工の掛かったもんを付ける必要はねえ。だがどうしてお前さんがそんなことを気にする? 誰かと賭けでもして、ホグワーツの全員があれを付ける方に賭けたとでも言うのか?」
「いや。でもみんな、あれをつけてる」
 が鼻で笑った。いつだったか、ロックハートのことを笑ってみせたハグリッドにそっくりだった。
「馬鹿馬鹿しい。俺はあんたがどんな奴だかはルビウスに聞いて知っていたような気がしちょったが、そんなつまらん事を気にする奴だとは知らんかった。あれにはお前さんを貶す言葉も出てくるだろうが? 俺は誰かを一方的に貶すような真似は好かん。それに、あんたを貶す理由も見付からん」
 この時、ハリーは彼に感じた親しみが間違いではなかったと悟った。
 ハリーの口から、咄嗟に「ありがとう」という言葉が飛び出た。
「今度は一体、何に対しての礼だ?」が言った。
「言いたかったから言っただけだよ」
 笑いながらハリーがそう答えると、は不可解そうに眉根を寄せた。その訝しげな表情がハグリッドにそっくりで、ますますハリーはおかしくなった。


 後日、薬草学の講義が始まる前、ハリーがに「やあ」と声を掛けると、彼はいつもの顰め面をハリーに向けたが、やがて小さく返答を返したのだった。頷いただけではあるが、ハリーはにっこりした。ハリーとのやりとりを見ていて、驚いたのは周りの面々だった。――どうしてハリー・ポッターは、わざわざ黙り屋のなんかに声を掛けたんだ?
 ロンとハーマイオニーが不思議そうにしている中で、ハリーは更に笑みを深くした。