うちふるえる


 ハリー・ポッターは眉を寄せた。何だあれ。偶然近くに居たハンナ・アボットに問い掛けてみた。ハリーの友達だからというのもあるし、何よりも彼女の一番の仲良しがハンナだからだ。彼女のことはハンナに聞くのが一番確実で、そして一番手っ取り早い。もちろん――本人達の次にではあるのだが。残念ながら、その本人達には聞き辛い。普段ハリーは、その二人とは上手くやっている。しかし、彼らの間に入っていきたいと思うほど、野暮ではなかった。何より、喧嘩の最中は特に。
「気にしなくて良いと思うわよ。いつものことだもの」
 そう言って、ハンナは微笑んだ。
「いつも、ああして喧嘩してるの?」ハリーは少しだけ驚いた。
 もセドリックも、怒りっぽい方ではない。むしろ、どちらも他の人の何倍も寛大な心を持ち合わせている。ハリーはが誰かに対して腹を立てている場面をあまり見たことがなかったし、セドリックの方はもっとなかった。しかし今、その二人が互いに顔を背け合っている。隣同士で座っているにも関わらず、だ。
「んー……ちょっと言い方が悪かったかしら。それにあれは、喧嘩というか……」ハンナは結局、彼らのことを的確に言い表すのを諦めたようだった。「まあ、心配しなくとも悪いのは大抵だし、大抵が折れるわ」
「へえ……」
 頷いたハリーを見て、ハンナは苦笑を浮かべた。



 は朝から怒りに震えていた。今日は折角好きな科目が並んでいる日だというのに、どうしてこんなに不愉快な気分でいなければならないのか。は自分を襲った理不尽に打ち震えていた。我が恋人殿の言うには「もちろんのことを束縛したいとか、そういうんじゃないんだ。ただはっきり言うと、君はちょっと無神経だと思う。普段の君を見てると、君の恋人が誰なのか、よく解らなくなってくるよ。僕にさえね」だそうだ。
 ちょっとばかり男友達と仲良くしていたくらい、良いじゃないか。狭量な男だな。ただアーニー達にレポートを見てもらって、ザカリアスと罵り合いの喧嘩をして、クラッブと談笑して、それからアンソニーに宿題を写させてもらったくらいじゃないか。
 前の三つに関して言えば、セドリックは「大目に」見てくれているようだった。とアーニーとジャスティンは昔からの友達で同級生だし、ザカリアスとは何と言ってもクィディッチのチームメイトだ。とクラッブが幼馴染みだということも、今ではセドリックも知っている。ただ、この間図書室でアンソニーと一緒に居たことは、どうにもまずかったらしい。流石のセドリックも堪忍袋の緒が切れたらしかった。
 ザカリアスの部屋で、二人だけでチェイサーの作戦会議をした事は怒らなかったくせに、とは思ったが、もしかしたらセドリックはその事を知らないだけなのかもしれない。その「もしかしたら」はこれからも内緒にしておこうとは思った。
 何にせよ、セドリックの怒り所はよく解らなかった。アンソニーとは昔から友達だし、昔からレポートを見せてもらったり、宿題を見せてもらったり、課題を写させてもらったりした仲なのだ。それを今更怒られて――まったく、理不尽じゃないだろうか。
 ただ、だってまったくのお馬鹿さんではなかった。
 の恋人は(当たり前だが)セドリック・ディゴリーただ一人だ。それに、いくら友達とはいえ、恋人が居るのに他の男の子と二人きりというのは、いささか誠実さに欠けるというものだろう。だって、それくらいは解るのだ。別にハンナに言われなくたって。いや、今回の件に関しては言われていないが、明らかに彼女の目が痛い。今だって、時々矢のような視線が飛んでくる。
 悪かったのはだ。それは間違いない。しかし――癪だった。

 ただ、今だってセドリックは横に座っているのに、まるでなんて居ないかのように振る舞われるのはいやに辛かった。セドリックは先程から、の方をちらとも見やしない。今日口を利いたのは、おはようの一回こっきりだ。喧嘩は昨日から続いている。と一度も目を合わせないセドリックは、ではない友達と話しながら笑っていた。
 段々と、に不安が募っていく。
 このまま、セドリックに嫌われてしまったらどうしたら良いんだろう。普段のなら「そんな馬鹿な」と一笑に付すかもしれない。しかしながら、自分が悪いと解っていて、尚且つセドリックに無視を決め込まれている今の状態では、有り得ないことじゃないのじゃないかと思ってしまう。

 結局のところ、は折れた。
「セド、リック、あの」彼のローブの袖を引く。「ごめんなさい」
 は目を伏せたまま、そう言った。セドリックがちらりと此方を見たような気がしたが、如何せん下を向いているので、はっきりとは解らない。
「あの、私、ちょっと考えなしだったかもしれないわ」
「うん」
 ぽふん、と、の頭の上に彼の手が乗せられる。
 恐る恐る見上げた先のセドリックは、微かに笑っていた。


 セドリックは許してくれたようだった。はほっとすると同時に、どこか釈然としない気持ちに包まれる。いや、もちろん、が悪いのだ。悪いには悪いが、納得し切ることができない。そしてその理由はすぐに知れた。
「君だって、僕がチョウと一緒に居たら怒るじゃないか」

 はちょっとだけ眉根を寄せた。
「私、怒ったりなんかしないわ」
 セドリックがを見詰め返した。まるで、君がそう思ってるだけだよと言わんばかりに。が口を結んでへし曲げると、「ほら、そうやって」とセドリックは言った。
「別れた筈のガールフレンドと一緒に居たら、そりゃ、気にもなるわよ。でも私は誰かさんみたいに怒ったりしないもの」
「どうかな……僕が話し掛けても無視をするのは、怒っている内に入らないのか。知らなかった」
「それとこれとは関係ないかもしれないじゃない。ただセドの口がニンニク臭かっただけかも」
「知ってるくせに」
「知らないわ!」



 ハリーは暫くとセドリック・ディゴリーの様子を眺めていた。セドリックの友人らしき生徒が、またも軽い口論を始めた二人を見て、やれやれと苦笑し合っている。
 再びハンナの方を向くと、彼女は「ね?」とでも言いたげな顔をして、肩を竦めてみせた。確かにあの様子は、「いつもの事」らしい。そして確かに、あれは「喧嘩」ではない。ハリーはグリフィンドールの席に視線を戻したものの、食欲はすっかり失せていた。好物の糖蜜パイはそれほどおいしそうに見えず、ハリーは大皿を向こうの方へとそっと押しやった。