ポーンとビショップとそれからクィーンと


「チェックメイト!」
「え――ええーっ、待った待った、さっきの無し!」
「駄目だよ、待ったなしだ」
「そんなあ」
 はしょぼくれたが、それ以上にの駒達からの不平不満が凄かった。「ほら! だから私が言ったじゃないの! そこに動かしたら駄目だって!」黒いクィーンは憤慨して、をそう叱りつけた。確かに彼女は先程もに注意を促していたが、しかしチェス初心者のからしてみれば、一体何が何やら解らなかったのだ。口を尖らせ睨み付けるの腕を、クィーンはヒールで踏み付けようとしたが、その前にが小突いて転ばせた。
 アーニーは得意げにふんぞり返り、彼の駒達も倣って腕を組んでみせた。

 はクリスマスにチェスセットを手に入れて以来、冬休みが開けてからというもの、暇な時間になるたびに友達にチェスをせがんでいた。スリザリンの男子生徒に譲ってもらった、あのチェスセットだ。恐らく、と同い年のハッフルパフ生は全員と一度はチェスをしただろう。あのザカリアスですら、のしつこいお願いに根負けし、何度かゲームに付き合ってくれたくらいだった。しかし、があまりにも何度もチェスをせがむせいで、最近ではみんな飽き飽きしてきているようだった。
 は今までは自分の駒を持っていなかったので、誰かがやっているのを横で観戦しているだけだった。端から見ているのもそれはそれで楽しいものがあったが、やはり自分でやるのは別の楽しさがあるのだ。自分の号令に従ってチェスの駒が動くのは気持ちが良かったし、手詰まりになった相手が考え込むのを見るのは楽しかった。もっとも、ルールを覚えたてのは、対戦相手を困らせる事はそれほどなかったのだが。
「アーニーもう一回!」
「駄目。僕は君と違って、宿題は真面目にやるんだ。君と違って」
 アーニーは嫌みったらしく、二度も『君と違って』と言った。以前、チェスに散々付き合わせたおかげで、彼は呪文学のレポートを提出するのが一日遅れてしまった事があった。確かに今日も、薬草学のレポートは出ていたが、そんなものでっち上げてしまえば良いではないか。もう少しくらい一緒に付き合ってくれたって。
 はぶつぶつと呟いた。アーニーは勝ったから、そんな風に止められるんだ。
 しかしそれまでに、アーニーはのお願いを聞き入れて二度もチェスに付き合ってくれていた。はその事実を都合良く忘れており、もう一度勝負しようよと頼み込んだのだが、アーニーはひどい顰めっ面をに向けるだけで取り合わなかった。
「それなら僕がやろうか?」
「やだ。だってジャスティン強いんだもん」
 がそう言うと、ジャスティンはくっくと笑ってレポートを書く作業を再開した。彼の元に戻ったアーニーが、「を甘やかしちゃ駄目だ」とかなんとかジャスティンに言ったのが聞こえたが、はまるきり無視した。は仰け反るようにして後ろを振り返り、彼らと同じようにレポートを書いているのであろう女の子達に声を掛けた。
「ねーハンナ、やろうよー」
「駄目! テストまであと三週間しかないのよ!」
 ハンナは此方に視線を向ける事すらせず、そう言った。ひどく切羽詰まった声だったが、にしてみればまだ三週間はある。それに、彼女達は授業が終わってからというもの、ずっとああして勉強に精を出していた。宿題はとっくに終わっていて、今は魔法薬学の復習と来ている。そろそろ休憩したって良い頃じゃないだろうか。
 しかし、が何度チェスをしようと誘っても、ハンナはうんと言わなかった。
「一回だけなら良いわよ」が仕方なくチェスセットを片付け始めていた時、ハンナと一緒にいたスーザンがそう言った。
「やったああ、ありがとうスーザン!」
「スーザン、を甘やかしちゃ駄目よ」
 アーニーが言ったのを聞いていたのか、ハンナが彼と同じ事を言ったが、は再び聞かなかったふりをした。スーザンは困ったように眉を下げるものの、の居る机の方へとやってきて、ソファに腰掛けた。
「何だい、スーザンは良いっていうのかい? 僕よりも強いのに」
 此方の会話を聞いていたらしく、ジャスティンはわざとらしくふて腐れてみせた。しかし彼は口で言っている程拗ねているわけでもなければ、怒っているわけでもない。はそれを十分解っていたので、気軽に返事をする。
「良いの、スーザンは優しいから」
「何だいそれ」彼は仕方なしに苦笑してから、視線を外した。


 が思うに、同じハッフルパフの三年生の中で一番チェスが上手いのはスーザンだった。彼女の駒の進め方は、一切迷いがない。その上状況判断も的確で、すぐに相手を追い詰めるのだ。ジャスティンがその少し後に続き、意外にもザカリアスがその次に着く。ハンナとアーニーはどっこいどっこいだが、よりは遙かに強かった。
「ああ、そうだわ、
「何?」
 がどう駒を進めようかとうんうん唸っていた時、スーザンがふと思い出したように言った。
「ルーピン先生から伝言なんだけど、今週と来週はテストで忙しいから、貴方の補習を見る事はできないんですって」
「ん? ――ン、あー……うん、解った、ありがとう」
 は補習を受けていた覚えはなかったのだが、ピンと来た。最近ルーピンと授業外で関わる事があるとすれば、それは吸魂鬼の訓練の事だ。どうやら明日ある筈だったボガート相手の守護霊の呪文の練習は無くなったらしい。
「オッケー」は呟く。「うん……ポーンをhの6」
 指名されたポーンが一瞬何か言いたそうな雰囲気で此方を振り返ったのが気に掛かるが、は次のスーザンの言葉にもっとドギマギした。何故ならは吸魂鬼対策の訓練の事を誰にも話しておらず、秘密にしていたからだ。彼女がその事を知っているとは思わなかったし、ただ純粋にそう思って(最近のはクィディッチシーズンは過ぎ去ったものの、バックビークの控訴裁判に向けて夜遅くまで起きている事が多々あった)言ったのは解っていたのだが、やはりはどきどきし、平然とした顔を取り繕うのに必死だった。
「大変ね。貴方が倒れちゃわないか心配だわ」
「ええ、まさか。それに、倒れるとしたらハンナかもよ」
「あー……それは言えてるかもしれないわ」
 少しだけハンナの方に視線を向けたスーザンは、彼女の目にうっすらと出来始めている隈を見てそう漏らした。「貴方達、聞こえてるわよ!」と叫んだハンナに、とスーザンはくすくすと笑った。
「まあ、貴方の努力が実を結ぶよう祈ってるわ。友達として」スーザンが言った。
「ありがとう」
「ビショップをhの6に」
 が少しだけはにかみながら、お礼を言ったのも束の間、黒いポーンが暴れながらもずりずりと引きずられて盤の外へと放り出された。がぎょっとしてスーザンを見ると、彼女は得意げに顔を光らせて笑っていた。

 ゴブストーンゲームならは七割の確率で勝利を収める事が出来るのだが、どうにもチェスは苦手なようだった。予想通りというか何と言えば良いのか、数十分後の談話室では仏頂面をしていた。
 彼らだっておそらく解っていただろうに、それでもの駒達は再びワーワーと文句を言い始めた。は今度こそ無視を決め込んだ。負けっ放しで悔しく思っているのは、決して彼らだけではないのだ。
 むっつりしているを見て、スーザンが苦笑した。
「どこへ置こうとしてるかは解るんだよ? それなのに、何で負けるのか解んない」
は考えすぎなのよ。次の手、次の手を読みすぎなのね。しかもそれが大体当たってるから、相手は気付かれたって思うとすぐに違う手を打つんだけど、それに貴方は対応出来ないのよね」
「そんなにアッサリ言われてもなあ」
 はぶつぶつと、それこそ恨みがましげに呟いたが、それだけではチェスに強くなる事はできない。やはり、数をこなさなくては。は心の何処かでは解っていたものの、精一杯目をきらきらさせて、期待を込めてスーザンを見詰めた。
「ね、スーザン、もう一回」
「駄目よ。それに、貴方も一緒に勉強しなくっちゃ」
 は悲鳴を上げたが、結局は彼女に従い、夜遅くまで談話室で羊皮紙と睨めっこをしていた。


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