彼の名はピーター・ペティグリュー 「一つだけ聞かせてくれないか」ブラックが頼んだ。 「何?」 は無表情のまま、静かに聞き返した。 「君は一体、どこまで知っているんだ?」 「あなたが知るべきところではないわ――でも、そうね、あんたが知っている事はあたしも知ってる、そう思ってくれて構わないわ」 ブラックはの顔をじっと見つめていたが、やがて微かに頷くような素振りをみせた。 シリウス・ブラックは語り出した。彼が捕まった経緯、そして何故ホグワーツに来たのかというその理由を。 「君も――、君も知っての通り、私はハリーの名付け親だ。話はそこから始まる。私はハリーの父親と、親友だった」 はブラックが何を言っても、大して驚かなかった。ハリーが言っていた事はこの事だろうと思ったからだ。――もしも自分の名付け親が、パパとママを裏切ったんだとすれば、どう思う? 「彼とは学生時代からいつも一緒で、私は彼の結婚式の仲人も務めた。親友だったんだ。 君も知っているだろう、十二年前のハロウィーンの日、ポッター家がヴォルデモート郷に襲われた。ジェームズ達――ポッター夫妻は前々から、自分達が狙われている事に気が付いていた。だから、身を隠していた。住居を転々としていたし、仕事も辞めた。しかし、ヴォルデモート郷はしつこかった。そこで彼の魔の手から逃れる為に、忠誠の術を施そうという事になった」 ふとブラックはそこで話を止め、何か言いたげな視線をに送った。忠誠の術をが知っているのか知らないのか、判断が付かなかったからだろう。は頷いてみせた。忠誠の術が何なのか、その具体的な方法は知らないまでも、それが一体どういう魔法なのかは知っていた。 忠誠の術は昔からある魔法で、魔法というよりかは契約といった色が強いものだった。生きた人間の中に、秘密を閉じ込めるのだ。秘密を教えられた人間は『秘密の守り人』と呼ばれ、守り人が自分から喋ったりしないかぎり、封じられた秘密は絶対にバレることがない。例えば誰かが悪戯をして、その事に対して忠誠の術を使ったとしたら、その悪戯の主犯は決してばれる事はない。どれだけ証拠があろうとも、守り人が暴露しない限り、その誰かがやったのだとは、誰もが確信できないのだ。 はブラックの口から語られる出来事に、一切驚かなかった。それどころか、彼が動物もどきだった事にも驚かなかったし、ブラックがに危害を加えようともしない事にもは驚いていない。ただ一つ、彼の口からまともにヴォルデモートと飛び出した時は、思わず体が強張った。 ブラックはが頷いたのを見ると、再び話し始めた。 「私はジェームズに、自分が秘密の守り人になろうと申し出た。しかし――しかし私は忠誠の術を使う直前になって、守り人になるのを別の人間にやらせた。この事は私とジェームズ、そして彼の妻であるリリーしか知らない――私がジェームズと懇意なのは周知の事実だったから、皆がこう思う筈だ。ポッター家の秘密の守り人はシリウス・ブラックだと。私はさも守り人であるというふりをして、どこまでも逃げ続けてやるつもりだった」 「しかし、私が守り人の役目を他の人間に代わったのは間違いだった。忠誠の術が施されてから一週間もしない内に、ポッター家が襲われた。秘密の守り人が裏切ったんだ。忠誠の術が行われたと知っている僅かな人間はもちろん――今となっては解りようがないが――世間の人も皆、私がポッター家を裏切ったのだと考えた。ポッター夫妻は死に、私だけが、本当の裏切り者を知っていた。私は秘密の守り人だった男を追い詰め、捕まえようとした。ブラックが魔法省に追い詰められたのではない。私が奴を追い詰めたのだ――マグルの大勢居る大通りだった。しかし――しかし奴はジェームズとリリーを裏切ったのはシリウスだと叫び、自分共々辺りを爆発させた。十二人のマグルが道連れに死んだ。そして裏切り者も死んだのだ。私にマグル殺しの罪を擦り付けて。 あいつは死んだ。ついこの間まで、私もそう思っていた。 実際は違ったのだ。奴はまんまと私に罪を着せ、この十二年の間生き延びていた。そして今、ホグワーツに居る。私が今になって脱獄したのもそのせいだ――私は秘密の守り人として別の奴を推した事を後悔していた。ジェームズ達が死んでしまったのは俺のせいだ。俺が殺したも同然だ。だからこそ、無実だったがアズカバンに居たのだ。罪が償われると思っていたわけではないが、私がやるべき事のように思えた――アズカバンでは殆どの人間が気が狂う。私がまともでいられたのも、自分が無実であると知っていたからだ――生きていたあいつを今度こそ捕らえてやる為に、私は脱獄した」 ブラックは口を閉じた。喋り疲れたのか(おそらく、アズカバンでは人と会話などしていなかったのだろう。もちろん犬の姿の時も)、それとも別の理由からか、彼は肩で息をしていた。死人のようだったのに、語り終えた彼の目にはギラギラとした光が宿っていた。そしてブラックのその灰色の目は、だけをまっすぐと見つめていた。は組んだままだった腕を解き、それから言った。 「――その男って、一体誰なの?」 「ピーター・ペティグリュー」ブラックは簡潔に答えた。 聞き覚えがあるようなないような、そんな名前には眉根を寄せた。 「奴は鼠に変身する事ができる――一体、どこから話せば良いんだ?――この間の夏に、私はとある事から独房である日の日刊予言者新聞を読んだ。それに、一枚の家族写真が載っていたのだ。家族の少年の一人が、一匹の鼠を肩に乗せていた。その鼠が奴――ピーターだった。ピーターは自爆した際、ご丁寧にも自分の手の指を切断した。さも体は木っ端微塵に吹き飛ばされ、それだけしか残らなかったのだと思わせる為に。――、ピーターの残骸で一番大きなのは指なのだと、聞いたことはなかったか?」 はゆっくりと頷いて見せた。が何故ピーター・ペティグリューの名前を聞いたことがあるのかと思ったら、日刊予言者新聞で見たからに違いなかった。ブラックの記事で書いてあったのだろう。ペティグリューの母親の元に、息子の遺骸と共に、勲一等のマーリン勲章が届いたと書かれていた。はそれを読みながら、やるせない気持ちに陥ったのを覚えている。 「写真に写っていた鼠には、指が一本なかった――私やピーターがアニメーガスになったのは、ホグワーツの学生だった頃だ。奴が鼠に変身するのを、奴が変身した鼠を、私は何度も見ている。見間違える筈はない。あれはピーター・ペティグリューだ」 「その少年が、ロンだったわけね」が言うと、ブラックは頷いた。 「私は何度も、その鼠を捕まえようとした。生徒の誰かの飼い猫にも協力を仰ぎ、必死でピーターを捕らえてやろうとしたのだ。私が脱獄したのもグリフィンドール寮に侵入したのも、それだけが目的だ――、信じて欲しい」 何かが食い違っていると思った。この不快な近視感は、一体どこから湧いてくるのだろう? 「……それで?」 「それで?」 が言うと、ブラックはそのまま鸚鵡返しをした。が何を言いたいのか、全く解らないようだった。 「無実の人間にしては、随分とおかしな事をするじゃない。太った婦人を切り裂いたのは誰? 合い言葉のメモを男の子から盗んだのは誰? 大きなナイフを持って、寝室に侵入したのは誰? そんな人間が、『信じてくれ』だなんて、笑わせるわ」 がそう言い切ったのと同時に、握っていた杖からパチリと火花が散った。ブラックははっとして、との杖を見比べ、また口を開きかけた。 「黙って。本当の事を言えば、ただ私が腹を立てて八つ当たりしてるだけなの。あんたのせいで、吸魂鬼がホグワーツにやってきたわ。一体どれだけ嫌な思いをしてると思うの?」 ブラックは黙り込んだ。二人が口を閉ざすと、禁じられた森の不気味な音がよく聞こえた。忘れ去られたバスケットだけが、不釣り合いに映る。 「――その鼠、スキャバーズは死んだそうよ」 「……何だって?!」ブラックが小さく叫んだ。 「いなくなったの。後にはシーツに残された血液と、猫の毛が一握り」 「ピーターだ! 奴はまた死んだと見せ掛けたんだ! 簡単だ、前にも一度やった事なんだから。それに奴は、そうやって小細工をするのだけは昔から上手かった。猫の毛を散らしておくのがわざとらしい! ピーターはまだ生きているに違いない!」 「そうでしょうね」興奮しているブラックを冷ややかな目で見ながら、は言った。 「そのせいで、私の友達はショックを受けてるわ。自分の猫が――クルックシャンクスがスキャバーズを食べちゃったんじゃないかって」 ブラックはがそう言った瞬間、途端に静かになり、は確信した。この男はクルックシャンクスの事を知っている。 の見たところ、クルックシャンクスはニーズルとの混血だ。ニーズルは知能が高い魔法生物で、その血を継いでいるクルックシャンクスも、飼い主の命令を理解して従う、とても賢い猫なのだ。それがハーマイオニーの言うことも聞かず、スキャバーズを追い掛け続けるのは、この男がそうやって頼んだからだ。ピーターを此処に連れてきて欲しいと。ブラックがグリフィンドール寮の合い言葉を知っていたのも、クルックシャンクスがネビルの部屋から表を盗み出してきたからだ。 「しかし――しかし奴は、ピーターは俺達を裏切った……!」 「それで? 裏切り者を罰を与える為なら、他の人に迷惑を掛けて良いってわけ? とんだ独善者ね」 ハッと、は嘲笑した。 が口を閉じ、ブラックも黙り込んだままだったので、重苦しい沈黙が流れた。ブラックが何も喋らずにジッとしているのは、スナッフルだった時と全く同じだった。真一文字に口を結び、ときたま視線だけで辺りを見渡すのだ。その時以外は、ジッとの方を見る。 「――それで……どうする? 私を吸魂鬼に引き渡すか?」 暫くの後、ブラックがそう話を切り出した。には、ブラックが少しだけ怯えているような表情をしているように見えた。に恐怖しているというより、吸魂鬼を思ってのことだろう。アズカバンで十二年過ごしてきた彼にとって、吸魂鬼そのものが恐怖の対象なのだ。 「知らなかったかもしれないけど、私の保護者は魔法省の人間なのよ。彼に頼んだ方が明らかに手軽だわ」 がそう言ったのを聞いて、ブラックはさっと顔色を変えた。 「信じてあげる。あなたが無実だって事も、殺人犯じゃないって事も」 今までと正反対の声音でがそう言うと、ブラックは馬鹿みたいにきょとんとした。その顔が、少しだけ彼を死人から甦らせた。ブラックが一切嘘を付いていない事ぐらいは、には始めから解っていた。 前へ 戻る 次へ |