Pバッジとスカラベ


 リー・ジョーダンは、コンパートメントに入ってきた三人組を見た途端に笑い出した。
「へえ……ウィーズリー家にもう一人娘がいたなんて知らなかったな」
「忘れてたわ」は彼の言葉で、今自分が赤毛だった事を思い出した。
 は物珍しそうに赤毛のを眺めているリーから杖を掠め取り――フレッドとジョージに誘われるままにコンパートメントを出てきたので、杖を持ってきていなかったのだ――髪の毛を元に戻した。アーニーはどうやったのか、三年生では到底習わないような呪文を使い、の髪を赤く変えていた。しかし、はそれを自力で解く事ができた。もしかするとアーニーは、の一番得意な科目が変身術なのだという事を知らなかったのかもしれない。
 マグルの使う、髪の毛の色を変える薬はこんな感じなのかな、と思いながらふと前を見ると、双子が大袈裟に落胆してみせた。そして、そのままゲラゲラと笑い出す。
「どうせならそのまま、僕らの妹になっちまえば良かったのに」
「そうすりゃ、ロナルドの部屋はの部屋になるぜ」
 二人は何の悪びれもなくそう言うので、は思わず噴き出した。


 フレッドとジョージに案内されて辿り着いたコンパートメントは、無人ではなかった。出迎えてくれたのはリー・ジョーダン。彼はフレッドとジョージの親友で、彼らの悪戯にも喜んで加わる、いわば悪友だ。
 リーが奥に詰めてくれて、は彼の向かい側に座った。レディ・ファーストだからと言って後から入ったフレッドはの隣に座り、最後に入ってきて後ろ手でコンパートメントの扉を閉めたジョージはリーの横に腰を下ろした。
「久しぶり、リー」
「ああ、久しぶり、。夏休みはどうだったい?」
「なーんにも。ホグワーツの方が刺激的」
「言うなあ」リーはクスクスと笑った。

 コンパートメントに着いてから、ずっとごそごそと自分のトランクを漁っていたフレッドが、ようやく目当てのものを見つけたらしかった。皆の視線が自分に集まっている事に気付くと、フレッドはふふんと鼻を鳴らした。彼の手の中には、丁度手のひらに収まる程の小包がある。
「……ふうん、あたしを此処まで連れてきた訳が、漸く明かされるわけ?」
 がおどけて言うと、フレッドは更に仰け反ってみせた。
「そうさ」フレッドが言った。
「僕らが夏の間、何処に行ってたか!」
「そうとも! 千載一遇とはまさにこの事!」
「――エジプトなんでしょう?」
 があっさりそう言うと、リーがプッと噴き出した。くっくっくと笑い続けるリーをじとっと睨み付けてから、双子は揃っての方を向いて、全く同じように口を開いた。どこか詰まらなさげだ。多分、エジプトを引っ張るつもりだったんだろう。
「……ロンか?」
「それともジニー?」
「ジニーよ」
 が答えると、フレッドとジョージは顔を見合わせた。「やるな、妹め……」
 夏休みの中頃、彼らの妹のジニー・ウィーズリーが送って寄越した手紙のおかげで、は彼らの父親が日刊予言者新聞のガリオンくじでグランプリをとった事や、その賞金の七百ガリオンで一家揃ってエジプトへ行った事、兄のパーシーが首席になった事などを知っていた。もっとも、は名付け親からその予言者を購読させられているので、ウィーズリー家がグランプリを当てた事を知ってはいたのだが。
 別にだって、彼らがどこへ行っていたのか全く知らない振りをする気遣いくらいはできるのだ。ただ、今回はそうするよりも二人をからかった方が面白いと判断した、それだけだ。
 にやにや笑うを、二人は無視することに決めたらしい。フレッドがいつも通りの調子で言った。
、単刀直入に言うと、君へのお土産さ」
「そうとも。埃にまみれにまみれたお土産さ」とジョージ。
 フレッドがの手の平の上にポンと置いた小包は見た目に反して重く、は慎重に包みを開けた。薄茶色いしわくちゃの包みに包まれていたのは、奇妙なものだった。
「フンコロガシ?」
「……せめてコガネムシって言えよな」苦笑混じりにジョージが言った。
「まぁ、間違っちゃいないけどな。――……スカラベさ」
 フレッド曰くスカラベは、の左手の上でもぞもぞと足を広げ、ゆっくりと起きあがった。重い筈だった。純ではないようだが、この小さなスカラベはどうやら金属で出来ているらしい。動く度に、大雑把に塗られた金色の塗料がキラキラと輝いた。
 真正面に座るリーが、「女の子へのプレゼントが、コガネムシってなんなんだよ……」と呟くのが聞こえた。
「まあ普通はな」フレッドは肯定した。「でもリー、がそんな事気にするか? 大事なのはユーモアさ」
「それに、は動くヤツなら何でも好きと来てる」ジョージがニヤッとした。
 双子の言う通りだった。
「これを、監督生みたいにローブに付けてたら良いっていうわけね?」がスカラベを見詰めたままそう言うと、フレッドとジョージはゲラゲラと笑い出した。
「……自分で自分を、普通じゃないみたいに言うなよ」
 リーが小さく苦笑している横で、の手の平の上のスカラベは早速動き出した。前脚で体を支え、後ろ足で目に見えない何かを必死に動かしている。どうやらその何かを転がしているようだ。黙りこくったままのを見て、フレッドは満足げに頷いた。
「そいつが、この辺の悪いなんやかんやを集めてくれるらしい」
「そんで食っちまってくれる」ジョージが付け足した。「ビル――俺達の一番上の兄貴さ――に言わせると、観光客用の小道具だけどな」
「まあ、役に立つか立たないかなんて問題じゃない。だろ?」
 フレッドがそう尋ねると、はやっと顔を上げて答えた。
「そうね」

 呆れ果てているのか、それとも久々のフレッドとジョージの調子に疲れたのか、何も言わないリーに向かって、は満面の笑みを向けた。
「あたし、これ、すっごく気に入ったよ!」
 には自分の言葉を聞いてフレッドとジョージがにやっと笑ったのも解ったし、リーが小さく肩をすくめたのも解った。金色のスカラベは今もなお、の左掌の上で何かを転がしている。
「君の第一声が、タランチュラはどうしたの、だった訳がやっと解ったよ」
 リーがそう呟くと、三人ともげらげらと笑った。


 は結局、フレッド達のコンパートメントで長い時間を過ごした。昼にやってきた魔女のワゴンではランチを買って(幸運にも、ポケットの中にシックル銀貨が紛れていた。多分、先日ダイアゴン横町に行った時に入れっぱなしにしていたのだろう)、フレッドとジョージが持ってきていたウィーズリー家特製サンドイッチと分け合いっこしたりして昼食を済ませた。それからはずっと、四人で爆発スナップやら何やらをして過ごしていた。
 寮も学年も違う彼ら三人と、一緒に馬鹿騒ぎする機会なんて少ないし、ハンナ達はが多少長く帰って来なかったとしても咎めたりしないと思ったのだ。

 フレッド達は今年五年生だった。普通魔法レベル試験、OWLが行われる年だ。そうなると、彼らだって今までのように遊べるわけじゃない。遊べる内に遊べるだけ遊んでおいた方が得策なのだ! なんて、自分勝手な事を考えている内に、長い時間が過ぎてしまっていたのだった。
 が元居たコンパートメントに辿り着く頃には、既に雨が降り出していた。それどころか大雨だ。降れば必ず土砂降りとは言うが、折角の新学期初日なのにあんまりだ。降りしきる豪雨によって、窓の外は異様に暗かった。勿論列車の中も薄暗く、は何度も躓いた。
 今年の一年生は雨の中、あの大きな湖をあんな小さな小舟で渡らないといけないのかな。可哀想に。そんな事をぼうっと考えていた矢先、の眼には懐かしい姿が入ってきた。の大事な、幼馴染みの姿だった。
「――ビンセント!」
 ビンセント――つまりビンセント・クラッブは、の声に気付き、こちらを振り向いた。隣には、彼の友人のグレゴリー・ゴイルも居る。
「やあ、」クラッブが手を挙げて応えた。

 駆け寄った時に解った事は、彼は夏の間によりも完全に頭二つ分は大きくなっているという事だ。
 彼がにょきにょきと大きくなる、それは嬉しくもあり、寂しくもあった。
 男女の差って、嫌だな、なんて思ったとき、の家に残っている写真の中に一枚だけ、とクラッブと、お互いの父親が揃って写っている写真の事を思い出した。ここ二年の間、クラッブ家の全員と会った訳ではなかったが、写真の中の父親達は確かにクラッブ氏の方が大きかった。の父親だって小さい方では無かった筈なのに。とクラッブの身長差は、もしかすると男女差が原因じゃないんじゃないか? いやしかし……。
 隣に居た筈の幼馴染みは、いつの間にかすっかり見上げなければならなかった。――彼の父親ぐらいに、きっとこの幼馴染みは大きくなるんだろう。
「ビンセント、久しぶり。こんな所で偶然だね。此処、あたしのコンパートメントの前だよ?」
「ああ、知ってるよ。だから居るんだ」クラッブはコンパートメントの方を顎で示してみせた。
「……成る程ね」は苦笑した。
 が居たコンパートメントの戸口を塞いでいたのは、プラチナ・ブロンドだった。
 マルフォイの向こう側には、椅子から立ち上がっているアーニーが居た。不穏な雰囲気だ。二人は何やら言い争っているらしい。
 元からスリザリン生と他の寮の生徒というのは折り合いがあわないものだった。他の寮より劣っているとされるハッフルパフとは尚更だ。スリザリン生はハッフルパフ生を見下しているし、ハッフルパフ生もスリザリン生を眼中に入れないようにと必死になる。実際、とクラッブが一緒に居ると、他の生徒達から奇異な目で見られる事も事実だ。
 アーニーの物言いは何処か偉ぶった所があるし、現在戸口を塞いでいるスリザリン生ドラコ・マルフォイは、自分の父親がホグワーツの理事をしていた事もあってか、どうも他人を見下したような態度を取る。二人はお互いに嫌い合っていた。この二人がこうして衝突するのは、何も今回が初めての事ではない。はこの二人が、一生涯仲良くする事なんて出来ないのであろう事を知っている。
 アーニーとマルフォイは、互いの鼻の先がくっつきそうな距離で睨み合っていた。
「いいかマルフォイ。今度僕の家族を悪く言ったら承知しないぞ!」


 マルフォイが何かを言おうと口を開いたようだったが、それは言葉にならなかった。がくんと一度大きく揺れ、ホグワーツ特急が止まり出したからだ。段々と列車のスピードが落ちていくのを、ホグワーツの生徒達全員が感じていた。他のコンパートメントから、突然の停車を不思議に思った生徒達が、何人も通路に顔を覗かせていた。
「――何だ?」マルフォイが呟いた。
「ちょっとごめんね」は言いながら、マルフォイとドアの隙間からコンパートメント内に首だけ突っ込み、アーニーの肩越しからハンナに声を掛けた。「ねえハンナ、今何時? もうホグワーツに着く時間なの?」
! いつ戻って来てたの?」ハンナが驚いたようにを見た。
「まだ時間じゃないよ」
 腕時計を見ながら答えてくれたのは、ジャスティンだった。「着くには早過ぎる」

 ホグワーツ特急の車体が完全に停車し、同時に車内の灯りが全て消えたのはその時だ。


  前へ  戻る  次へ